2011年01月01日

ウエストポーチ 自閉症の人とコミュニケーションをとるために



 自閉症の人と「見てわかるもの」でコミュニケーションしようとすれば、その日のスケジュール(もちろん本人も持ってる)などとともに、何かあった時にささっと書けるもの、などが必要になってきます。普段から持っておかないと、ついつい「書いて」「描いて」見せたり、写真を撮ったりがおろそかになります。

 そういう時に役に立つのがウエストポーチ。もちろんお子さんがひとりだけ、かつもう必要なコミュニケーションツールが決まったものがあって、ポケットに入れられる、なんてえ時は必要ないかもしれませんが。(例えばiPhoneや携帯電話があればコミュニケーションできる、とかいう場合)でも、自閉症の人に関わる特別支援教育担当教師の場合は必須になるような気がします。

 また自閉症の人、本人がウエストポーチの中にコミュニケーションブック等を入れていて、そこから取り出して使う、という場合もあります。

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 大昔の話です。

 当時の私は、自閉症の人に何かを伝える時用に、常にウエストポーチをしていました。

 そこに入れていた物。

・小さなノート
・白紙
・黒サインペン
・赤サインペン
・黒ボールペン
・はさみ
・セロテープ
・ビニールテープ
・教室へ戻ってねカード(この頃は金紙をパウチしたゴールドカード)
・スケジュールのところへ戻って確認してねカード(トランジションカード)
・コミュニケーションブック(伝えたい活動や物や人の絵や写真や文字が入っている)
・デジタルカメラ
・その日のスケジュール

等を入れていました。

 いつでも、どこでも、「見てわかる」ように伝えられるようにです。

 デジタルカメラはその頃から普及しだしました。当時はすぐに充電が切れていたのに、今はすごく保ちますね。

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 知的障害特別支援学校にいた頃。
 「実習生が来ました」の時です。 

 今実習生さんが来ていてC君についていてもらっています。
 
 初日に彼がカードを使って朝の活動をすることを説明したりしました。
 また彼にウエストポーチからコミュニケーションブックを出してもらいざっとお見せしました。で「こそばして」「ギュッして」「やめて」を書いてあるページを出し、「どれにする」というふうに私が指でくるりと指さしました。

 すると彼は「やめて」を指さしブックをポーチにしまいます。

 彼は「やめて」はふだん使わないし、よくわかっているのかなあ?と思いましたが、それ以上は別に何かを「言って」もらおうとはしませんでした。

 しばらく後でまたそのページでやってみたら「やめて」ふーーん。

 彼は最近ブックを使う頻度が少なくなっています。それもあるのかな、と思っていました。

 ところが昼休み、彼はブックを開くと「本」を実習生さんに示します。で「鉄道ジャーナル」を一緒に読みました。そしてそれが終わると今度は「こそばして」を示しこそばしてもらいました。(彼は少なくとも私の知る限り、今まで「本」の写真を使ったことは無かった)

 うーーーん、ってことは「やめて」がちゃんとわかってたんだ。

 で、そこから考えると前2回の「やめて」は「僕のブックを、芸を見せる、みたいな使い方はやめてよ」
ってことだったかなあ、なんて思いました。

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自立課題学習用教材を4分で3つ作る(プレゼン)

 大昔の話です。

 今日、ある所でいろんな方たちを前にお話させて頂きました。

 でもって、用意しておいて頂いた品物を利用し、私が身につけてるウエストポーチから紙やはさみを取りだして、自立課題の教材を3つ、みなさんの目の前で作りました。

 早野凡平の帽子芸みたいに、ウケる話をしながらできたら良かったんですが、そこまではできなかった。

 うーーん、下手して10分かかったかな、と思ったけど4分でした。

 でもなあ・・・簡単にできるよ、というのは伝わったと思うけど、いっぱい伝えたいことが抜けてたな。

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点滴をする時に絵を描いたら納得してくれた自閉症のお子さんの話 タイマーの話も

 大昔の話です。

 知的障害特別支援学校にいた頃。


 ○○さんどうもです。
 kingstoneです。

 >案の定、白いベッドにやっとこさで寝かせて、点滴の針を入れたのだ
 >けど、不安で納得のいかない□□。
 >「何スンノ、何スンノ」(半ば、わめいております)
 >
 >まだ点滴は始まったばかりで、どうしようと思って、すぐかばんからノー
 >トを出し、容器から管がずっと延びてて、腕に針がささっている絵と、も
 >うひとつ、容器が空っぽになったら終わりですの絵を書きました。
 >
 >そしたら、こんな稚拙な絵にもかかわらず、わかってくれて安心したの
 >か、すっと静かになりました。


 すごーーい!!
 やっぱり今まで、いろいろ視覚的に伝えようとしてきはったからこそなんでしょうね(ニコ)

 で、いつも書けるものを持ってる、っての大事だと思います。
 ボランティアさんたちも持っててくれるといいんですが・・・
 ねっ>ボランティアさん

 ほんとやりとりする世界がぐんと広がります。
 その実感があるからこそ、私はいつもウエストポーチになんやかや入れてるわけです。

 >この病院も何人かの自閉症の方が罹られているはずです。その人た
 >ちが上手に診察や医療行為を受けられる様、看護婦さんに視覚支援の
 >有効性を示してあげる良い機会でした。下手な言葉がけよりも、下手な
 >漫画のほうがよっぽどマシだと言う事を。

 ほんまです。ほんまです。

 >つけたしですけど、□□は、やっぱり点滴のこり5ぶんの1
 >くらいのところで、また不安になりました。
 >それで看護婦さんにお願いしてタイマーを貸してもらいました。
 >(外出時は、必需品ですね。)
 >
 >「あとどれくらいですか?」とお聞きすると、
 >「3分くらい」とおしゃったので、
 >それを聞きタイマーをかけてやりました。
 >
 >ばっちり点滴とタイマーはオンタイムにフィニッシュを
 >むかえたというわけでした。

 なるほどお。
 時間も目に見えるようにしてあげるってことですね。
posted by kingstone at 20:48| Comment(0) | 自閉症・発達障害 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ノルウェイの森 松山ケンイチ 菊池凛子 水原希子 村上春樹原作

 今日は妻と「相棒」を見に行くか、「ノルウェイの森」を見に行くか、で相談。「相棒」はいっぱいそうだし、「ノルウェイの森」はネットで流れてくる批評はいまいちのものも多く早めに打ち切られては見れなくなる、と「ノルウェイの森」を見に行くことに。



 客は半分ほどの入りでした。

 私なぞ、ヘルメットの学生が歩く大学のキャンパス、学食、寮の集会室、レコード屋のレジとか、そんなところが懐かしくて引き込まれました。(私はもっと後の世代ですが)講義中に「討論(実は演説)やらせろ」なんて言う学生もいたし。

 で、確かにあんな女の子いたよなあ。外国の小説をたくさん読んで、すてきな言葉をつぶやいて、時には薬でラリッたり、手首を切ったり(今のいわゆるリストカットみたいにたくさん傷をつけはしてなかったけど)、で何か妙に魅力的で。

 でもって、そういう子にもてる男がいて。

 私は、そういうのをうらやましげに遠くから見てる役回りでしたけど。

 物語では自殺する人が後で聞いた話も含めると3人出てきますが、私の周囲では幸いそこに至った人はいません。みんなどうしてるかな。たくましいおばちゃんになってたりしたら嬉しいけど。

 ひとつ突っ込むとしたら、夏の草原、雪の山肌、自然の中で寝ころぶ2人の姿が出てきますけど、夏草の上は蒸れるし(そばに池塘(池)まである)、雪の上は冷たいし、早くどこかへ行きたいと思うんじゃないか、と思うんですが。

 松山ケンイチは静止画で見ていると、なんでこの人がスターなんだろ、と思ってましたが、動きがあるとすごくいいですね。

 ま、私はお金出して見る価値がありました。若い人にはどうかな?





posted by kingstone at 19:10| Comment(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

1995年1月・神戸―「阪神大震災」下の精神科医たち 中井久夫著



 阪神・淡路大震災で壊滅した神戸の病院で精神科医たちがどう動いたかという記録。当時神戸大学病院精神科教授をされていた中井久夫さんが前半部を書き、またそれぞれの医師たちが記録を書いています。1月17日震災のおりは病院から離れた自宅に帰っておられ、2日間は「旗艦先頭」をとの思いはありながらも、自宅で現場からの報告を電話で処理されていたとのことです。
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書類や報告の多さ

 今日、AERAを買いました。

 中の記事に、教師が「報告書が増え、子どもに障害名がつき、個別対応をせまられ」疲れて、子どもと話す時間もなくなり・・・みたいなことが書いてありました。

 今はそうなのか。
 報告書・書類の中にはいらないものもずいぶんありそう。
 何の関係もないと思われるかもしれませんが、以下の文を引きたいです。
 中井久夫さんが震災直後を語られたものです。

「1995年1月・神戸」中井久夫編(みすず書房)

(引用開始)
 初期の修羅場を切り抜けおおせる大仕事は、当直医などたまたま病院にいあわせた者、徒歩で到着できた者の荷にかかってきた。有効なことをなしえたものは、すべて、自分でその時点で最良と思う行動を自己の責任において行ったものであった。初期ばかりではない。このキャンペーンにおいて時々刻々、最優先事項は変わった。1つの問題を解決すれば、次の問題が見えてきた。「状況がすべてである」というドゴールの言葉どおりであった。彼らは旧陸軍の言葉でいう「独断専行」を行った。おそらく、「何ができるかを考えてそれをなせ」は災害時の一般原則である。このことによってその先が見えてくる。たとえ錯誤であっても取り返しのつく錯誤ならばよい。後から咎められる恐れを抱かせるのは、士気の萎縮を招く効果しかない。現実と相渉ることはすべて錯誤の連続である。治療がまさにそうではないか。指示を待った者は何ごともなしえなかった。統制、調整、一元化を要求した者は現場の足をしばしば引っ張った。「何が必要か」と電話あるいはファックスで尋ねてくる偉い方々には答えようがなかった。今必要とされているものは、その人が到達するまでに解決されているかもしれない。そもそも問題が見えてくれば、半分解決されたようなものである。
(引用終了)

 特別支援教育にしろ、教育にしろ、こんなもんだと思います。

 不必要な書類というのは「統制、調整、一元化を要求した者は現場の足をしばしば引っ張った」「「何が必要か」と電話あるいはファックスで尋ねてくる偉い方々には答えようがなかった。」

というのと同じようなもんだと思います。

 もちろん独断専行で日中戦争に引っ張っていった、っていうんじゃ困るわけですが。

関連発言
IEP 個別の指導計画
年間指導計画 号泣
中井久夫で恋を語る
posted by kingstone at 18:35| Comment(0) | 教養・ビジネス・組織論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

子ども虐待という第四の発達障害 杉山登志郎著



 こんな本が出てるんですね。

子ども虐待という第四の発達障害 (学研のヒューマンケアブックス)/杉山 登志郎

 紹介文とカスタマーレビューでだいたいの感じがわかります。
 読みたいけど、買えないな。
 図書館で借りるかな。

関連発言
大阪の知的障害児施設虐待事件について  虐待の背景
虐待についての大昔の話2
虐待についての大昔の話1
posted by kingstone at 13:43| Comment(0) | 自閉症・発達障害 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

きみもきっとうまくいく―子どものためのADHDワークブック キャスリーン・ナドー著



 これは以前にも書いたものの再掲です。
 ちょうど

週刊朝日の大昔の記事 「小学4年ADHD児 自殺に追い詰めた周囲の無知・無理解」

のエントリを書いたところだし、その頃この本は出版されていたのですから。

「きみもきっとうまくいく」−子どものためのADHDワークブック−
キャスリーン・ナドー&エレン・ディクソン著
水野薫・内山登紀夫・吉田友子監訳
東京書籍・1155円

を読みました。ごっついええです。で、何より題名がいいっす(ニコ)

大きく分けると4つの部分からなります。

1.自分をチェックする。
2.人に助けてもらえること
3.自分でできること
4.お父さん、お母さんとやる特別プロジェクト

 お子さんが小さい場合は、保護者の方に読んでもらうのがいいかも。(いったい何年生くらいから本人が読んで解決の役に立てることができるだろう・・・)

 ところで保護者や支援者の人への呼びかけのところにこんなことを書いてはります。

(引用開始)
 次に、本書ではお子さんが読む部分の文章には、ADDやADHDという語を使わないようにしていることにお気づきになるでしょう。それにはいくつかの理由があります。

 子どもや大人の研究が進んでくるにつれ、彼らの問題には、非常に複雑な神経発達の問題が関わっていることがわかってきました。ADHDというラベルだけではとても説明しきれないのです。現在ADHDと診断されている子どもたちには、さまざまな多様性が見られます。どうみても重大な注意障害がありながら、ADHDの診断基準にあてはまらない子どもたちもいますが、彼らに支援や介入が必要なことはいうまでもありません。このラベルを貼らないことによって、注意力、集中力、衝動性、多動性に問題をかかえているすべての子どもたちに、手を差し伸べられるようになるでしょう。

 しかし何よりも、子どもたちには「ADHDという病気」だとは思い込ませたくないのです。子どもたちに必要なのは、彼ら特有の注意力、衝動性、多動性に関する問題への周囲の理解を深め、可能な支援を得ることなのですから。
(引用終了)

 なるほどなあ・・・
 もちろん、これも大人になる過程のどこかでは、ADHDと言う言葉やその周辺について学ぶことが必要になるのでしょうが。

 ただそうだとすると、この本の題名に「ADHDワークブック」と書いてあるのは・・・しかしそう書いてなければ私は本屋さんで手に取って見ることもしなかったかもしれないし・・・

 うーーん。

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叩かれていた子の例1

 大昔の話です。

 特別支援学級担任の頃。

 このお子さん障害は何かわかりませんでした。

 いろいろな障害はあったのですが、知的な面においては主治医はおらず、また当時は地域のお医者様では診断はできなかったと思います。当時信頼できるところと言えばここくらいしかありませんでしたから。

 特徴としては
「わからない状況になると固まる」
「学力は学年相当は無い」
「衝動的に行動する時もある」
くらいのことは会ってすぐにわかりました。(公式の書類ではほとんど何もわからない。非公式の前担任からのひきつぎも、あまり役には立ちませんでした)

 担任して2日目か3日目くらいの話です。

 前担任からは「勉強が嫌い」とお聞きしていました。
 保護者も前担任も学年相当の勉強をさせようとやっきになっていたようです。

 私は、幼児用・低学年用のプリントをレターケースに入れて用意しておきました。

 自分で「僕勉強する」と言い出して、自分でできるプリントをどんどん出してきてやりました。「宿題も出して」と要求。

 そしてプリントの丸つけをする私に向かって「学校って楽しい所やなあ」と言いました。

 それまでの学校生活が想像できて胸がつかれました。

 自閉症のお子さんについても「学校って楽しい所やなあ」と実感して欲しいなあ、言葉に出せなくても、と強く思っていました。そしてそれができるのじゃないかなあ、と思っています。

 自閉症でない子でもです。

 外から見たら、とんでもなく情けない授業展開しかしていないと見えるだろうし、それは事実(笑)なの
ですが、大事なことって何だろう、と強く感じていました。

 その辺りの価値観を、特別支援学級の相棒と一致できそうなので、ありがたいです。

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 この子のお母さんは困って、そしてちゃんとしつけなければ、という思いの中で爆発的に叱責したり、時には手が出たり、ということもありました。

 お母さんも「衝動的に行動する時もある」感じがありました。

 おばあちゃんが学校に来たこともあるのですが、いきなり子どもをどついた(叩くというのではなく、どつくでした)のでびっくりしました。お母さんも叩かれて育って来たことは容易に想像がつきます。しかしそれは「虐待の連鎖」とかいう感じではなく、みんな「衝動的に行動する」から、という感じがしました。

 お母さん自身、悩んでおられました。

 いろいろなところに相談に行かれたようです。

 で、どこでも「叩いてはいけない」ということは言われたようです。しかし「こうしたらいいよ」ということは、専門家の方は言ったのかもしれませんが、お母さんには伝わらなかったようです。「いったいどうしたらいいのか」と困っておられました。

 私自身も1学期の終わりの懇談会で

「叩かない方がいいよ」

と言ってしまいました。お母さんはその時は納得して下さったように見えたのですが、クラスを出てすぐその足で校長室へ行き、

「普通学級に転籍します」とカンカンになって主張されました。

 お母さんのつらさを理解できていなかったな、と思います。
 
 とにかく子どもが楽になるように、お母さんが楽になるようにしなきゃなあ、と思いました。

追記
 この時校長は「あのお母さんのは虐待やない躾や!お前が間違っている!」と私を叱責されました。まあよくあることです。(でした、かな?)

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 2学期です。

 私は「要求水準を下げる」「子どもをいっぱいほめる」「子どもにいっぱい感謝する」「抱っこしたり身体接触もいっぱいする」などを通じて、かなりいい手応えを感じていました。

 また、私はたまたま忘れ物を持ってお家に持って行った時に、「きみもきっとうまくいく」をチェックを入れながら、お母さんと一緒に読みました。(本当は子どもとも一緒に読むといいのかもしれないけれど、お子さんはまだそこまで字が読めないので)



 また「のび太・ジャイアン症候群」の「家庭で今すぐできること」の部分を懇談に来られた時に、一緒に読みました。




(これはずいぶん版が変わっているかもしれません)

 そしていいところをいっぱい見つけてほめてあげて欲しいこと、要求水準を下げることでやる気をいっぱい見せてくれること、など伝えていきました。

 先日、友達に嫌な(危険な)ことをしたことが発覚。それを聞いたお母さんは今までだったら激しく叱責していたところを、まず抱き留めて(今までよりは)静かに伝えたそう。

 そして、翌日、子どもが膝枕をしに来た時に「こういうことが大切なんだな」とさせてあげた、とのこと。

 それらのおかげかお子さんもずいぶん落ち着いていました。
 またそれらを報告して下さったお母さんの表情がとてもにこやかで素敵でした。

 もちろん急には困った行動がすぐに無くなるわけではなく、でも(あせらないという意味で)大人になるまでには「きっとうまくいく」ということをお伝えしました。

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 もう随分後、いろんなことがうまく回りだした頃、お母さんと話していた時にこんな会話になりました。

私「お母さんの、虐待じゃないよ」
しばらくして
母「私、やっぱり虐待してたかもしれん」

 むつかしいところですね。
 私は「(過去に)叩いてた」ということはしっかり認識していたけど、お母さんに「それ虐待やで」とは言えなかった。そして思わず出した言葉でお母さんが「認識」しはじめて下さった。(と言っても、その前に様々なことがあっての上ですけど)

 これより以前に校長に「虐待です」と報告して「あれは虐待では無い、しつけだ。お前が間違っている」と怒鳴りつけられ、こちらのメンタルヘルスが、かなり悪くなったりしたこともありました。

 これ以降、私は校長に「正確な報告」はしないでおこうと心に決めました。

 私は「場によって、人によって言い方を変えていく」必要があると思っているわけですね。

 まあそんな体験から「虐待についての大昔の話2」のやりとりになっていくわけです。

 もちろん、最近の親から子(特に1歳児未満)への虐待関連のニュースを見てると、上記のことなんかは全然あてはまらないかもしれませんが。




posted by kingstone at 13:35| Comment(0) | 自閉症・発達障害 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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