2011年01月13日

伽藍とバザール オープンソース



何でこんなことやってんの?(伽藍とバザールの話なども)

 大昔の話です。

 特別支援学級にいた頃。

 kingstoneです。

 ○○さんの文に触発されて・・・

 私は確かに外から見たら「頑張って」るように見えると思うのですね。(本人の主観ではそうではない・・・)なぜ、そんなことをするんだろう。

 昔、障害児教育フォーラムで「行動分析(応用行動分析)って何」って会議室でやりとりしていた時、□□さんって方が子どもたちに対してすごくいい取り組みをされてた話をうかがいました。□□さんは応用行動分析で一本筋の通った方です。で、私が質問したのね。

「じゃあ、□□さんがその子の前に立つ、その子に指導しようとする、それは何故なの」

 応用行動分析的な答えが返ってくるかと思ったら・・・発言の最後のところに半角カタカナでひっそりと(インターネットでは半角カタカナは御法度みたいなので単にカタカナで書きますが)

「ソレハ・・アイ トイイタイ・・アハ」

と書いてありました。(笑)

 この感じ、すごくよくわかります。
 友達に問われて、で照れながら、って感じね。

 じゃあ、私は何だろう・・・私は「立身出世」という気持ちが強かったりする・・・ただし「立身出世」の方向が管理職へ、という方向とは少しずれてますけど。

 自分が自分でありたい、楽に生きていきたい、というのも近いです。

 あとこれは「立身出世」と少し近いですが「伽藍とバザール」(オープンソースのソフトウエア作りについて考察した文)シリーズの「ノウアスフィアの開墾」に出てくる「ハッカーは名声を動機としてオープンソースプロジェクトに参加する」というのに近いものがあります。

 何にせよ、私は私のためにやってんだい、といつも思っています。
posted by kingstone at 22:19| Comment(0) | 教養・ビジネス・組織論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

カタカナカード カタカナを学ぶ



 下の話は、上記のカードではなく、身の回りの物の写真で作ったオリジナルのカードかもしれません。

あせらなくていいんだ

 大昔の話です。

 知的障害特別支援学校にいた頃。

 ○○さん、こんにちは。

 >今年の2月に飛躍的に絵カードで単語を獲得したうちの□□君は、この○月
 >○日から「こんな事はずーと前からできていたんだよ」というような顔を
 >しながら、カタカナで書かれた単語を(絵なしで)すらすらと読むようにな
 >りました。

 嬉しいですね。

 ほんまにねえ・・・その感じ、よくわかります。
 ほんと、ずーーっと前からできてたかのように見えるのだけど、記録をめくって見ると、ありゃ、つい最近なんだ、しかもそこに至るにはあれこれあれこれあったんだ、と思いだしたりします。

「指導がなかなかうまくいかない」とあせる時、ちょっと思い出してみると、逆に「そんなにあせらなくていいんだ」と思える時もあったりしますね。

posted by kingstone at 22:03| Comment(0) | 自閉症・発達障害 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

パーソナルコンピュータ 好きだから勧めるってわけでもない



自分の実感が一番大事

 大昔の話です。

 知的障害特別支援学校にいた頃。

 ○○さん、こんにちは。
 kingstoneです。

 私自身は・・・周囲からはTEACCH絶対主義者と思われてるんだろうな。

 肢体不自由児にパソコンを使わせようとしていた時は「あいつはパソコンオタクだから」「あいつはパソコンが好きだから」と思われてたろうし・・そーゆーのってこっちが否定しても、相手は余計にそう思うし、まあほっとくしか無いんでしょうね。(オタクであることは否定しませんが、ちょっと違うオタクだと思う・・・)

 >が、私の地方の特別支援教育関係の方はみなさん一様に否定されます。
 >カードばかりや、オペラント的や、授業らしくない、やらされてる
 >みたいや・・・。

 あはは、あるある。
 これについては私は全部反論および注釈はできるなあ。

「カードばかり」
 そんなことは無い。実物を使うこともあれば、メモ帳を使うこともあれば、言葉を使うこともある。視覚支援を多く使うのは確か。

 オペラント・・・
 そもそもその批判をされた方がどれだけ応用行動分析のオペラントと言われるやり方をご存知なのか。最近の動向をご存知なのか。そこんとこがわからないと話にもならない・・

 授業らしくない・・・
 授業らしい授業がそもそも成立していたのか。そしてその授業を受けていた子どもはどうであり、卒業後どうなったのか・・・。目指すべき授業ってどんなものなのかなあ。

 やらされてる・・・まず「やらされて何が悪い」と開きなおることもできるような気が・・だって他のやり方の授業や生活だって「やらせる」ことをしていないかなあ。

 しかしそういう中で本当に本人の選択を大事にしていこう、ということを中に入れていくこともできるわけでね。例えばプリントをさせる時に「どっちのプリントをする?」とか遊びに行く時に「どっちの教室で遊ぶ?」とか私の場合は入れてますけど。

 >しくない、やらされてるみたや・・・。しかし、実際に学校で担当していた
 >子どもに少し構造化した形で取り組んで見ると、パニックしていたのに我に
 >返ったように表情が和らぎ落ち着いて過ごしてくれました。このときに何か
 >通じ合えたような気がしました

 批判するにせよ擁護するにせよ観念的にやる人っているじゃないですか。
 そういうのって議論するだけ時間の無駄という気がします。
 人の持ち時間って限られているのですから。

 そんな中でいちばん確かなのは○○さんご自身の実感だと思います。
 そこから出発するしか無い。人の言葉(例えば私の言葉)よりも、ご自分の実感から考えていくのが一番ですよ。(ニコ)

 それから、実は実践者というのは「絶対主義」にはなり得ないと思うのですね。とにかく現実というやつはいろんなことを起こしてくれる。その時に「こうやりゃ絶対うまくいく」っていうことはあんましないような。

 で、いつもあれこれ試行錯誤しか無い。(で、こう書くとまたTEACCHにかぶれてるから、と思われるかもしれないけど、TEACCHってその試行錯誤を含みこんでるような気がします)

 >それと、学校現場では否定される人が多いのに、お母さん方は自らも学習会
 >をして特別支援学校教員以上に良く知っておられて、これではお母さんから質問
 >されたときに特別支援学級の先生はおろか特別支援学校の先生もひとたまりも
 >ないわ、という状況です。

 あはは。
 学校って・・・保護者からの外圧が一番きくかな・・・本人や教師のニーズではなく・・・

 私、中学生時代、丸刈りに反対を表明してたし、周囲の友人に聞いても多くの人たちが生徒集会だとかなんやかんやで反対の意思を表明していたのに学校は変わりませんでした。

 後で、ある保護者が裁判を起こしたら、確かそれだけ(判決とかじゃなく)で丸刈りが無くなった。

 何か苦いですけど。

posted by kingstone at 21:20| Comment(0) | 障害支援・社会参加 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

シェアウェア―もうひとつの経済システム



 大昔の話です。

 知的障害特別支援学校にいた頃。

「シェアウェア―もうひとつの経済システム」NTT出版 金子郁容監修 宮垣元・佐々木裕一著
を読みました。いろいろ触発されるところがありました。

 シェアウェアやフリーウェアの作者へのインタビューを集めた本です。
 みなさん異口同音に「このソフトは私一人で作ったものではない」「ユーザーからの要望があってこそできたものだ」というようなことを述べられています。

 ちょっと長いけれど引用します。
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 もちろん、シェアウェアがディジタル・ネットワークをインフラとしていることは事実だ。その意味では、オンライン上でのソフトウェアが「つながっている」感覚を生み出すのは必然ともいえる。しかし、ここで注意すべきことは、原動力となっているのは明らかに「つながっている状態」ではなく、「つながっている感覚」であるということだ。ここでいう「つながり」とは、物理的な接続状態以上の「何か」であるが、そのことこそが重要なのである。

 では、どうしたらそうした感覚を得られるようになるのだろうか。いい換えれば、どうしたらユーザーが自発的に「付句」をするようになるのだろうか。ヒントは江村氏の「早い段階でソフトウェアを公開してしまえば、ユーザーからのフィードバックがある」という経験に隠されている。

 早い段階で公開するということは、ソフトウェアの完成度が低い状態で公開するということだ。そこには、おかしなところや不完全なところがぎっしり詰まっている。企業の発想からいえば、そんな状態で製品を世に出すことはありえないだろう。不完全であるがゆえにユーザーからクレームがつきかねないし、第一、事前の評判を落とすリスクをしょいこむことになるからだ。

 ところが、シェアウェアはそれをあえてやろうとする。ましてや、作者には企業や上司といった後ろ盾やいい訳がないから、ある意味では好んでさらし者になるようなものだ。しかし、それは愚かなことでも損なことでもない。理由はいたって簡単だ。どんなに穴がないように気をつけても、どんなにいい訳を考えても、完全であることはありえないからだ。どうせそうなのであれば、そんの取り繕いをせず、素直にそれをさらしてしまえばいいとシェアウェアの作者は考える。つまり、シェアウェアを作るということは、自分自身をひ弱い立場に立たせることを選択するということでもある。

 このように、ボランタリーな行為はさまざまな賞賛と同時にさまざまな攻撃に身をさらすことにもなる。しかし、作者が自分を弱い立場におくからこそ、他のユーザーからの指摘や意見や要望が生まれると考えてみたらどうか。シェアウェアの作者がソフトを公開すれば、たくさんのユーザーから感謝の言葉をもらうかわりに、「こんなことはできますか」「こうしてほしい」「こんな不具合がでました」というような意見への対応を迫られる。だが、こうした「弱さ」や「傷つきやすさ」こそがシェアウェアのダイナミズムの源なのではないか。

 ボランティアを研究する金子郁容は、この弱さを「バルネラビリティ」と呼び、自らを「バルネラブル」にすることが次の「つながり」を生むのだと説いている。(「ボランティア」岩波書店)バルネラブルであるということは、弱さ、攻撃されやすさ、傷つきやすさであるとともに、相手から力をもらうための<窓>を開ける秘密の鍵でもあるというのだ。
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 例えば今までの学校文化はひょっとしてパッケージソフトを作ろうとするようなものではなかったか。しかもかなり破綻し、ユーザーのニーズから離れた・・・

 個別教育計画は、それをシェアウェア化(オンラインソフトウェア化)しようとする試み??

 またフォーラムの会議室への発言やMLへの発言というのもボランタリーな行為であるし、同じような側面があるのじゃないかな。マチートさんはご自分の「問題行動の対処法マニュアル」をフリーウェア宣言してはりましたし、最近で言えばダダ父通信もまさにそういうものとして流通しようとしていますよね。

 この本にはシェアウェアとお金についての考察もされています。
 これは有償ボランティアにつながるのじゃないか、という視点ですね。

 それこそ卒業後の場やグループホームをそういうものとして作っていくことができないかなあ、というのが今の私の夢想です。

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大阪の知的障害児施設(月の輪学院)虐待事件続報2

大阪の知的障害児施設虐待事件続報
大阪の知的障害児施設(月の輪学院)虐待事件続報
虐待を普通と思う時

 朝日新聞の記者さんが取材してはりますね。

ポエム

 朝日新聞の記者さん。
 底の浅い記事を書くことなく、いろいろ取材をして欲しい。

 しかし「こんなふうにもできるんだよ」ということは勉強(取材)した上で書いてくれたら嬉しいな。

 「虐待やむなし」「どうしたらいいかわかりません」じゃなくて。

追記
 アサヒコムのお問い合わせフォームに意見を書いて送ってみました。
 朝日新聞の記者さんに届くだろうか。

 何か

シェアウェア―もうひとつの経済システム

で言うところの「バルネラブルであるということは、弱さ、攻撃されやすさ、傷つきやすさ」になる行為ですね。
posted by kingstone at 19:32| Comment(0) | 教養・ビジネス・組織論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする