2011年01月31日

箱庭 これも「思い」を「見えるもの」にしようという試みだよね



 たけーーっ!!
 41790円!!
 でもって、世界標準サイズでは無い、と。まあ小さい机の上でできるようにやな。

 私、マイ箱庭自作しましたけど。これはほぼタダ。
 砂は海岸で拾って来ました。
 人形もずっと集めていました。
 まあ、全部入れれば、相当の価格やなあ。

 考えてみると、箱庭も「思い」を「見えるもの」にしようという試みやわなあ。

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過去の記事226(疲れ2)

 大昔の話です。

 知的障害特別支援学校小学部3年目の3学期の話です。

 2月17日

 ○○さん、こんにちは。

 > その疲れたkingstoneさんをコピーに走らせたのは、かくゆう私
 >です。ごめんなさい(^^;)

 ちゃうって(笑)別に誰が、ということじゃないのですよ。
 それに私、あの会の時はとりあえず元気です。なーーんにも配慮(こんなこと言ったら誤解されるぞ、とか)しなくていいんですもん。

 疲れること・・・

 いろいろありますが、例えば今、学年でほんといろんなことに取り組んでいます。(自閉症の人に対するTEACCH的取り組みのこと)やはり試行錯誤です。研究会や私が研修に行った先でいろんな方に声をかけてアドバイス頂いたりしてますけど、その機会も少ない。ほんとうに迷いながらやってます。

 もちろん全然満足できていません。何か勘違いしてるのじゃないか、もっとやらなければいけないことがあるんじゃないか、とかも思うこと多いです。

 そんな中、批判を受けることもあります。でね、それってこちらもよーくわかっていることであり、また何とかしたいと解決を模索していることであったりするわけです。

 もちろん批判はありがたく頂戴しますけど、結構ずーんと来ます。

 私も「遊戯療法」や「カウンセリング」「箱庭」の世界から入って来た、ってつもりはあり、「意味ある偶然」やそれこそ「構造化されない場面の大切さ」なんてえのが大好きだったりします。

 で、もちろん自閉症のお子さんとの間にもそれは大事なんだけど、でも、それは十分に構造化された環境の中で、それでも起こる「偶然」や「構造化されない場面」のことだよなあ・・と今は思っています。

 まあ、後、考え方の違う指導を目の当たりにするのも疲れるなあ。(具体的には威嚇や暴力)

 今日は研修があったのですが、あまりしゃべらないでおこうと思ったのにだいぶしゃべってしまった(笑)でも、後で今の学年の子を担当していた先生にそれを言ったら

「いいの、いいの。kingstoneさんはしゃべったらいいの。子供たちが本当に変わっているもの。信じられないけどビデオで見せられたら信じなきゃしかたないもんね」

と言って頂けました。

 そう言って頂けると少しは楽になります。

 > 私はぎりぎりまでがんばってしまう性分ですが、ダメなときは
 >あっさり全部さぼってしまうという特技で生き延びております。

 実は・・・私もそうです。と言うより体が動かなくなってしまうのです。
 そうなったらもう開き直るしか無い。でけへんかったで、どっか悪いい、って(笑)
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私の信仰告白?

 流れをぶち切って(?)先に書きたいことを書いておきます。
 これができるのがブログのいいところですね。

 私は「TEACCH教」だと言われたり「TEACCHにこだわっている」と言われることも多かったです。でもなにかピンとこない・・・

 でも「カウンセリング教」と言われたらうなずきます。

 カール・ロジャーズはどこかで
「人間は条件が整えば成長する」
と言うか書くかしてて、私はそれを信じています。

 ロジャーズ自身はそれを科学的に証明しようとしたけど、うまくいかなかったと思います。

 科学的に証明できないものを信じることを信仰と呼ぶなら私の信仰はこれになります。

(と書くと、カウンセリングや臨床心理学をやってはるかたから怒られるかもしれませんが)

 で、「今、ここ」を大事にしていたら肢体不自由の人のAACに行きつき、自閉症の人のTEACCHに行きついたと思っています。

 健常だけれども不全感を持っている人だったら「積極的傾聴」や「共感的理解」で「耳を傾け」「音声言語や雰囲気で伝える」ことでうまくいく部分が多いでしょう。箱庭や夢を語ることもいいでしょう。

 しかし、私の目の前にいた肢体不自由児に何かを表現してもらおうと思ったらAACがまず必要になりました。音声言語もないし、箱庭を置いてもらおうったって腕が動きません。

 そして自閉症の人に何かを表現してもらおう、こちらの意図を知ってもらおう、とした時にTEACCHが必要になりました。

 過去に(今は知りません)カウンセリングをバックボーンとしてもっていた人と、TEACCH的に取り組もうとした人が対立した、というのがよくわかりません。

 まあ2000年代になっても高名なカウンセラーが「自閉症は(クライエント・センタード・アプローチの?)カウンセリングで治る」みたいなことを著書で書いてたりしたから、しかたのないことなのかもしれません。

 私自身について言えば、障害のある人(だけじゃなくすべての対人関係でですけど)に向き合う時、カウンセリングの学習で身につけた知識や態度がすごく役に立ったのですけれど。
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私が大昔に関わった地域のお医者様(自閉症関連)

 大昔の話です。

 私が自閉症関連で大昔に関わった地域のお医者様に関する話です。

 知的障害特別支援学校時代。


  自閉症で睡眠障害のお子さんについて、お医者様を紹介して欲しいという相談を受けた時に、誰を紹介したか、について書きます。

 相談を受けた時に、私の尊敬する○さんという特別支援学級教師と一緒に話をうかがいました。でいろいろお医者さんの名前も上がったのですが・・・


A医師

 大学でも教えておられた。地域では無茶有名。教育学部の卒業生に話を聞くとたいへん人気のあった方だそう。

 診断は的確??

 ところが、このお医者様。私のいた知的障害特別支援学校で、教師全員が参加する相談会に来て下さった時。

 自閉症の生徒がいたずらをして困るのだが、という相談を受けて「教師が周囲を取り囲んで「お前が悪い」と徹底的にわかるまで叱りなさい」という対応を指示されました。まあ教師の出した情報が悪かったのかもしれませんが・・・・

 確かに教師は「困った場面」の情報しか言わなかった。しかしこのお医者様もその生徒が「何がわかって」「何がわからないのか」「他の場面でどういう行動を取るのか」などは聞かず、間髪を入れずに答えられたのだけど・・・

自主研修会の生徒です。

 私はそれまでもこのお医者様の「障害のある子への対応の指示」に疑問があったので、反対。しかし○先生はすすめてはりました。

 特別支援学校の教師も「周囲を取り囲んで叱る」という対応はしませんでした。



B医師

 なぜかはわかりませんが○先生は反対。

 私はこのお医者様はよく存じ上げません。ただし地域では有名。

 しかし私の担当してる生徒、脳波を取るべく何度も呼ばれ失敗。うーんコストパフォーマンスを考えると何故だろう、と疑問に思ったことも・・・でも私はよくわかんないので、「わからない」



C医師

 ○先生が強く反対。

 理由は「親の気持ちを考えない」「すぐに学校の悪口を言う」まあでも後者の方は、学校の現状を考えると、私なんかはしかたない面もあるのではないかなあ、と思ってしまうけど・・・

 あっ、「親の気持ちを考えない」という点では私の昔担当していた児童、初めて診断を受けた時、「重度の自閉症です」と言われ保護者はショックを受けたのですが、確かにそれに対して療育面などでのフォローは無かったな、という印象はあります。

 まあしかし「療育」の相談ではなく、「睡眠障害」の相談ですからそういう点ではみなさん信頼できるだろう、と思い、A医師やB医師に診て頂いたら、と連絡しておきました。
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 当時、ある程度信頼できたのはここか。

診断が大事という話2

 事例発表でアスペルガー症候群の生徒に対し、保護者や学校に「見てわかるようにつたえること」を指示し、その他様々な環境調整をして成功していました。(もちろんいろいろな手だてをとっておられましたが、その他の細かい点は記録に残っていません)

 ただし、当時の知的障害特別支援学校に通っていた重度知的障害を合わせ持った自閉症の生徒が、月1回通っていましたが、プレイセラピーを受けていました。またこの生徒については「見てわかるようにつたえること」という指示は出ていなかったようです。私が保護者に「してみたい」と提案したら反対されましたので。

 あっ、私はプレイセラピーを否定しません。私自身が「落ち着きがない」「指示が通りにくい」といいう主訴のお子さんに「プレイセラピー+箱庭」で劇的に改善した例を持っています。その子については当時の私は健常と思っていました。ひょっとしたら現在なら少し違う見方をするかもしれませんが。まあ、ようするにどの範囲にどのように適応なのか、という問題です。

 現在はそこは地域で様々な支援機関をサポートしています。その中にはTEACCH的な取り組みをしているところもあります。ただしいかんせん資源的に苦しいようですが。
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 特別支援学級に異動した時。

通常校でまずやめさせたこと

という状態でした。私は「見せてつたえる」こと、特にカードなどを使ったりスケジュールをしたりすることには慎重でなければ反発を買うことは自覚していました。しかしやはり「わかって移動してくれる」し、その他コミュニケーションも取れそうだし、つい使ってしまいました。

 学期が始まって2週間後、2人の自閉症のお子さんのお母さんが2人揃って来られ「カードを見せる」はやめてほしい、音声言語で取り組んでほしい、と申し入れして来られました。

 1人の子については「せっかく1語文が出かけているのに」とのことでした。お母さんは自閉症についての主治医であるD医師に相談をしたそうです。D医師は「TEACCH的取り組みである」とは気づかれたようです。D医師には私も面識がありました。お忙しいのに自閉症関連の講演会にも積極的に参加されているお医者様でした。ただしTEACCHについての講演会には行かれてなかったようです。D医師はこう答えられたそうです。「それはアメリカでよくやられている方法です。私にはわかりません」

 D医師は単に正直に「私にはわかりません」と答えられただけだと思いますがお母さんは「それはだめなんだ」と解釈されたようです。

 私は「では出かけている言葉についてはカードは使いませんので、その他についてはどうか使わせて下さい」とお願いしました。懇願した、という感じかな。

 まあ、そんなこんなで実践していきました。

 その後、私とD医師とつながりができ、D医師もTEACCHについて勉強して下さいました。

 で、次のそのお子さんの定期相談の時に私も参加させてもらいました。

 D医師はお母さんに

「もう先生におまかせしたら。TEACCHは面白いよ。写真を見せたら何でもできる」

と言って下さいました・・・。

 TEACCHだと「おまかせ」にはならないし、後半部分も危険な誤解なのですが・・・
 環境を整えたり、実践することはしやすくなりました。

 時代は少しずつ変わっていったようです。
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戦い余話

 kingstoneです。

 個人メールでも、いろいろはげましを頂いております。

 ほんとうは若い方や特に学生さんの前で「戦っている」ってことは出さない方がいいと思っているんですが、書かずにはいられない、というあたりでご勘弁下さい。(って大人扱いしていないってことになるのかな?でも、ほんと見せなくていい部分は見せなくていいと思い、発表者にもA教授との過去のあれこれなんて言ってなかったんだけど・・・)

 私の知ってるある先生。(近辺の方ではありません)

 ものすごく勉強してはる先生です。反TEACCHではありません。でもいわゆるTEACCHの使い手というわけでもありません。

 で、保護者の方がTEACCHを勉強して「こうやってね」と構造化の写真とかいっぱい持ってきはったそうな。使っているカードも。で、実際にやってみはったそうです。しかしよく見るとわかっている部分とわかっていない部分がある。

 で「まずこうやってみましょう」と提案され、違うやり方でやり始められました。でうまくいって、今は保護者との信頼関係もできてはります。

 これなんですよね。

 でもこの方の取り組んだことがTEACCHで無い、と言えるかどうかはまた別問題なんですけど。具体的にはコミュニケーションレベルをアセスメントして、カードコミュニケーションからレベルを下げて指さしなど(さらに具体物なども使ったのじゃないかな、これは想像)を使って、本人からの表現を引き出して行った、というものなんですけど。でも見方によったら「これはTEACCHです」ということになります。(ただ指さしと言っても、これまたカードコミュニケーションよりレベルが下かというと・・・これも何と言うのか「形」を見るとそうでもないこともあり得ると思います)


 アセスメントに基づいて、本人にあったレベルの自発的コミュニケーションを引き出していった、そして問題行動を無くしていった、というあたりなんですもん。

 先日、私が「カードにこだわらず」と書いたあたりですよね。

 ほんま、「保護者にひきずり回される」などと言わずにちゃんと勉強して「でもね」と言えるようにして欲しいっす。

(勉強せずに、そして子どもの様子を見ずに「でもね」と言う方は多いけど)


 私は周囲からTEACCH信奉者と思われていると思います。確かに行動もそう見られても仕方がないから、特に否定はしませんが。

 でももともとカウンセリングの勉強をしていて面接・箱庭・描画などについては半端じゃない勉強と体験をしてますし(自分で言うな、って(笑))動作法はトレーナー資格も持ってます。(これはわかっている人が聞くと恥ずかしかったりする(笑)トレーナー資格ってほとんど「意味なーいじゃん」の資格なのです。まあ1週間キャンプに3回は出席した、というだけのことなのね)

 肢体不自由児の意思表出のためのAACの学習や実践。

 それから「○○法」の達人さんには、現在でももう頻繁に相談をかけています。


 例えばある地域の幼稚園でもTEACCH的な取り組みを大幅に取り入れてはおられるけど、ポーテージもやりいの、様々な勉強をされていい指導ができるよう努力してはりますもんね。


 まあほんま自分でええと思うことを勉強し、実践していくしかないよな、と思います。

 ある先生「私もTEACCH始めようかな」
 私「(渋面を作りながら)でもね、私の周囲でも形だけまねする
   人が多くてね。こだわらんでええから勉強してほしい」
 あ「(我が意を得たりというように)そうそう、ひとつの方法に
   こだわらなくていいと思う」
 私(心の中で)「で、ひとつの方法にこだわらなくて「威嚇」を
  使ってはってんねえ・・・」


 あっ、私が「叱る」ことを否定しているとはとらないで下さい。

 私の周囲で某先生「大声で叱る」というのもしはります。

 私は若い人に「某先生の叱り方、見とけよ。お前は大好きだよ、というのがちゃんと伝わる叱り方やろ。あんなふうに叱れたらいいよね」なんて言ってました。

 ただし他の先生が叱っている時は決してそんなことは言いませんでしたけど。

追記
 上のエピソードの「ものすごく勉強してはる先生」は太田のステージを深く勉強されていました。その実践は私から見ればTEACCHに見える。ある応用行動分析家はTEACCHのうまくいってる実践を見て「これこそ応用行動分析だ」とおっしゃいました。そんなもんだと思います。
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「私は私が好きです」 自己啓発セミナーに参加していた友人からの誘いのこと

 大昔の大昔の話です。

くらやみの速さはどれくらい エリザベス・ムーン著 

の中で主人公のルウ(高機能自閉症?)が「治療を受けるか受けないか」の話をしている時に

「私は私が好きです」

と言います。(図書館に返しちゃったので細かくは違うかも)それで思い出しました。


 自己啓発セミナーというのが話題になってきた頃。私は中味は知りませんでした。「自己啓発」だし「元気になる」っていうしエンカウンターグループみたいなもんかなあ、と思っていました。

 当時は私はカウンセリングの勉強をしていたし、自分たちで2泊3日のファンタジーセラピー(夢や箱庭や描画やなんやかんや)のワークショップを開いたりしていました。代表ではないけど重要なスタッフくらいの立場でしょうか。宿泊・食事こみで3万円くらい。使う資材のこととか考えたらまあ超お安いと言ってもいいと思います。で、「他の自己啓発セミナー行くくらいやったらうちの方が安いでえ」なんて紹介したりしていました。

 ある日、友人から電話がかかって来ました。

「自分はかくかくしかじかの生い立ちで、つらいことも多く、不全感を抱いていた。しかし某自己啓発セミナーに行って、そういうのが無くなった。kingstoneさんも是非某自己啓発セミナーに参加されたい」

とまあつづめて言えばそんな感じ。ゆっくり話を聞いてからこう答えました。

「まあ俺は主催者側やしなあ。ところでなあ、お前、自分が好きか?」

 彼は一瞬沈黙し「痛いとこつくなあ・・・」とつぶやきました。

「お前がそういうことをやって元気になったのはいいことやと思う。でな、そうゆうのがうまいこといってたらきっと自分で自分が好きになると思うわ。今、俺は俺が好きや」

 後、こもごも話したかもしれませんが、それ以後彼が私に参加を勧めることはなくなりました。

 その後、彼が自己啓発セミナーとどう関係したかは知りません。

 まあでもその道にのめり込むとかじゃなくなったと思います。時折私に相談をしに来てくれるようなこともありました。今は年賀状くらいです。

 今、自己啓発セミナーに友人から誘われたら、どう言うだろうか?随分「乱暴」で「高い」しいろいろ「まずい」ことも知るようになったから、少し対応が変わるかな・・・変わらないかな?
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箱庭とホメオパシーとの比較

 Togetterで

箱庭とホメオパシーの比較

をまとめました。

 ある看護教科書で代替療法のところで箱庭療法とホメオパシーが併置されている、という話から。

 昔、箱庭が大好きだった者(今も好きですけど)として書いてみました。

 読み返してみると、ホメオパシーの部分はめちゃめちゃ弱いというか息切れしてますねえ。
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共感及び共感的対応について

 大昔の話です。

 特別支援学級にいた頃。


 Oさん、どうもです。
 kingstoneです。

>  以前に話題になった「共感」あるいは「共感的対応」ですが...
>  実際のところこれはどう定義される「行動」なんでしょうか...

 ハルヤンネさんの「□□一人のための活動をしたい」にあたるものは私にとって何かな、とかいう話をしましたが、私にとってそれはひょっとしたら「夢分析」や「箱庭療法」などのイメージセラピーやカウンセリングの勉強や実践をしたい、ということになるのかな、と思っています。

 以前からかなり勉強はしていたのですが、肢体不自由特別支援学校で機器利用やAACの勉強を始めてから、ある意味で封印した思いであり、肢体不自由特別支援学校を出たら再開できると思っていたのに、知的障害特別支援学校に来てTEACCHの勉強を始めたためにこれまた時間が無くて封印せざるを得ないのですが。

 「共感」と「共感的対応」はひょっとしたら別物かもしれませんね。

 私の師匠なんか無茶苦茶で、「別に共感できてなくたって、クライエントが「共感してもらえた」と思えたらそれでいい」とまで言ってはりました(笑)

 つまり「共感的対応」というのは何らかの行動をとり、クライエントなり周囲の人が「ああ、共感してもらえた」と感じとれる行動ですね。

 でもって、それは千差万別かな。

 私の場合、ひとしきり「自分の思い」を述べた後、カウンセラーが「頑張ってるんですね」と静かに一言言ったとたん、涙があふれ出したことがあります。

 共感はどういう「行動」なのだろう。ロジャースは内蔵感覚ということをよく言ってはりますが、胸が熱く感じる、とかそれと同時に涙があふれてくる、とか・・・先日の寺尾孝士さんの講演の後、まさに私はそういう「行動」になったわけですが。

 まあ上記の例は、特殊な例かもしれませんが。
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吉野邦夫先生の講演(自閉症の人に読んでもらう言葉 I am proud of myself など

 大昔の話です。

 特別支援学級にいた頃。


 kingstone by iPAQ です。

 今日の吉野先生の話、むちゃくちゃ良かったです。

 すんげえ重いのかな、と思っていましたが、そんなことはなく、明解かつ、すっきり整理できる、って感じでした。

 くわしくは、・・・っていうか、思ったことは、また親指シフトキーボードを
使って書きますが、ほんま行って良かったです。

 滋賀のお母さんたちにも会えたしね(ニコ)

 懇親会にも呼んで頂け(もちろんお金はらったよ)「萩の杜」の松上さんと知りあえ、夏に研修に行かせてもらう約束もできました。(うれしい)

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 kingstoneです。

 吉野邦夫先生の話、素敵でした。

 国立秩父学園、ここは国立の入所施設なのかな。
 お医者様で鳥取大学の講師をされたりしてはって現在は秩父学園の園長をしてはります。

 まず吉野さんが模索された様々な療法(受容法・行動療法・言語訓練・感覚訓練(これはモンテッソーリ法など)・言語認知学習(太田のステージっすね)・感覚運動学習(感覚統合やムーブメント))についての話があり、実はそれぞれいいところがあるんだ、という話がありました。

 だから大喧嘩をしてもあまり実りが無い。自分たちとしては周りを育てようというお話でした。

 ついでに書くと「母親は3人育てなければならないと言われます。子ども・父親そして教師です」という話も・・・ただ3人ですまないですね。教師は下手すると毎年変わるもの。

 ノースカロライナに行かれた時の「なるほど、良かった」というエピソード。

 日本から行った人たちがジェンカを踊ると、あちらの多くの自閉症の人たちものって一緒に踊りだした。しかし踊らずサラダを食べている人たちも少数いた。誘ったが「No」の一言。でショプラーさんも他のみんなも「別にそれでいいじゃない」

 これ、うちの学校でのエピソードを思い出します。体育館でみんなで電車ごっこをしていました。そこに入れようとするが動かない自閉症のお子さんがいました。担任はとても優しい人なのですが、何度も何度も誘います。それがいいことだと思っているから。言葉だけでなく引っ張ったりします。ついに自閉症のお子さんは苛立って、側にいた子を蹴飛ばしました。するとその優しい担任は突き飛ばすようにして彼を押し倒し、「何すんねん!」と叱りつけました。担任はものすごく興奮していましたが、まあそれ以上のこと(さらにたたくとか)はありませんでしたが・・・

自閉症の生徒を押さえ込んだ話

 ノースカロライナに行かれた時の写真の中に面白いものがありました。説明もあったのですが、そこには

 Brave and Calm

 I can do it

 I am proud of myself

と書かれています。一番上のはどう使うのか聞いて来られなかったそうです。二番目のはすぐに「できない」とか言ってしまう方に「○○します。私はできます」ということを書いて読んでもらうようにするとできるのだ、ということです。でできたら「私は○○できた。私は誇りに思う」と読んでもらうとか。なるほどお。

 うーん、一番上も知りたいぞ。

 教師に対しては厳しい言葉が続きました。

「教師は見事なデストロイヤーをしてくれる。就学前3年積み 上げてきたものをものの2か月でつぶしてくれる」

「教師は自分の流した汗を自分で誉めている。しかし本当はどうしたら援助を少なくしてできるようになるかを考えるべきなのに」

 よくわかります。私も実体験があるから・・・半年かけて積み上げたものが2週間で崩れました。

 逆に言うと教師が勉強したら、ほんとすごくいいことができるはずなんですよね。

 保護者や指導員や教師に対しては「reframe」というか、枠組みを変えるというか、今までの常識を変える、みたいなことを望むとか。

 で、これは教師や職員に対してでしょうが、「ブレーキを作る」「一匹狼はいらない」ということを強調してはりました。ふむ・・・私、自分なりにものすごくブレーキをかけつつ行動しているつもりはあるのですが。

 前任校の方は「kingstoneを押さえていた」と言って下さってますが。これでもものすごく自分を押さえてやって来ていたつもりもあります。しかし結果的には一匹狼(実はネットワーク上では一匹ではないのですが、職場では表では一匹狼風ではありました。影の支援者は多かったようですが・・・でも表に出て来てくれないと見えない・・・)

 ふーむ、むつかしい。

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 kingstoneです。

> まず吉野さんが模索された様々な療法(受容法・行動療法・言語訓練・
>感覚訓練(これはモンテッソーリ法など)・言語認知学習(太田のステージ
>っすね)・感覚運動学習(感覚統合やムーブメント))についての話が
>あり、実はそれぞれいいところがあるんだ、という話がありました。
>
> だから大喧嘩をしてもあまり実りが無い。自分たちとしては
>周りを育てようというお話でした。
 
あっ、でね、いったいどういう場面でどう有効なのか、とか逆に言うとどういう場合には無効なのか、というような点についてわかってないといけないのか、というあたりが大事になると思います。

 で、私自身は今までに(対象が自閉症の方というわけではなく)ロジャース的なカウンセリング・ユング的な(箱庭や夢を使う)カウンセリング・動作法・インリアル・感覚統合・抱っこ法などを自ら体験したり実践したりする形で勉強して来たことをたいへんありがたいと思っています。少なくとも私にとってすごく役に立っています。

 で、その後に自閉症の方に出会い、TEACCHに出会ったことをこれまたありがたいことと思っています。

 順番が逆だったら、TEACCHだけでも奥が深く、やらなきゃいけないことはいっぱいあるし、勉強しなけりゃならないこともいっぱいあるし、上記のような様々な体験的学習ができなかったろうと思いますから。

 受容的交流療法については私は勉強したとは言えないです。やってる方から学んだこともあるのですが、しかし本も2冊しか読んでないし、何よりその方たちから私に頂いた言葉を思い出すと「もういいや」という気持ちになってしまうのですね。

 で、ここでも吉野先生の「大喧嘩をしてもあまり実りが無い」というのを思い出します。

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他の方の記録からもおすそわけ

「シングル・フォーカスの人に対しては、何を教えようとしているのか、ターゲットを明確にして接しなくてはいけない。」

また、TEACCHの一番すぐれている点は「コミュニケーションの育成」にある。
「自閉症ほど人との関係が重要な障害はない。」

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追記
 「萩の杜」は日程が合わず、残念ながら研修に行けませんでした。
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100回のカウンセリングより1回の診断を(「変光星」の森口奈緒美さんの言葉)

※これは相当説明が必要ですね。追記に書きます。


 大昔の話です。

 特別支援学級にいた頃。


 kingstoneです。

 実践障害児教育(学研の出してる雑誌)8月号は特集が「アスペルガー症候群と高機能自閉症の支援」です。

 すごくいいです。

 ニキリンコさんの「自分を語る」という生い立ちの手記をはじめ、どの記事も勉強になります。でもって静岡県総合教育センター教育相談部の臨床心理士さん海野千畝子さんの

「障害をもつ子,そして親への援助体制」という記事の中で森口奈緒美さんの変光星の中の文を引用しつつ

「森口奈緒美さんの著書「変光星」の中での「100回のカウンセリングより1回の診断を」ということばどおり、「診断を受ける」ということは本人の人生において「自己をどう社会と重ね合わせていくか」という視点にかかわる、自己概念の認識形成のために重要なことで
 ある。教育相談所においては、本人、保護者の障害の受け止めの抵抗や混乱は承知で、診断にまつわる複雑な感情をも支えて抱えていく機能が求められている」

と書かれています。こういう心理士さんが増えてくると嬉しいですね。

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追記
 これは例えば2000年頃発行された、超有名カウンセラーの本に「自閉症はカウンセリングで治る」と書かれていたりしました。まあ流派から行って面接して対話する、ひょっとして箱庭を使ったりするかなあ、描画を使ったりするかなあ、というタイプの方と思われます。

 そういう時代があったのですね。想像になりますが、そういうものが「効果」があったとは思えません。もちろん面接時間はリラックスできるようにされたでしょう。そしてそれは日常生活のつらさを緩和する助けになったと思います。しかし、面接室から出た時、配慮の無い環境(見てわかる環境が作られていない、わからないまま我慢して居ることを強要される)配慮の無い人間関係(表現がわかってもらえない、相手の伝えたいことが正確に伝わってこない等)等々がそのままであれば、またその人は苦しみ続けます。もともとの障害は治るわけじゃないのですから。

 ひょっとしたら超有名カウンセラーさんはカウンセリングという名前でソーシャル・スキル・トレーニングをやっていた可能性はありますが、そのような記述は無かったですね。

ずっと「普通」になりたかった

の中でグニラ・ガーランドさん(高機能自閉症(アスペルガー症候群?))上記のような昔ながらのセラピーを受けていた時と、きちんと診断してもらってからの気持ちのことを書いてはります。

 もちろん「診断」があったて、じゃあどう支援するのか、っていうのが無ければ無意味だ、と私は考えます。ですから1回の「診断」ったって診断名をつけて放り出される感じになってはいけないよなあ、と思います。その点高機能自閉症(アスペルガー症候群)の方の一部は診断名がわかれば自力で情報収集して対応を考えることができる可能性もありますが・・・それもたいへん。

 そこらへんがあって「100回のカウンセリングより1回の診断を」という言葉になっているわけです。

 最近はカウンセラー(心理士など)も発達障害について勉強され、環境を整えていこうとされてる方もおられるようです。スクールカウンセラーを利用するときは、そのあたりも判断して利用されたらと思います。

もうひとつ追記
 あるアスペルガー症候群のお子さん。箱庭も利用したカウンセリングですごっくいっぱいお話でき、とても良かったそうです。そういうこともあるんですね。いろんな2次障害の改善のきっかけには成り得る、ということだと思います。
 で、もちろん日常の暮らしにいろいろ手だては必要、ということだと思います。
posted by kingstone at 12:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 障害支援・社会参加 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする