2010年12月20日

応用行動分析学入門―障害児者のコミュニケーション行動の実現を目指す 山本淳一他著




 私はよく応用行動分析という言葉を使っています。でも正式な研修や訓練といったものは受けたことがありません。パソコン通信での「耳学問(目学問か?)」や、2〜3の本を読んだだけです。

 私の知っていることといったら

「ある行動をした時に、その人にとっていいことが起これば、その行動は維持される、あるいは増える」

くらいです。これはまったく正しいと思います。

 応用行動分析もいろんな名前がついていますね。

 行動療法
  ↓
 行動分析・行動変容
  ↓
 応用行動分析

 ABAやBAなんて呼び方もあります。

といったあたりでしょうか。

 昔その関係の本を読んでいて「同性愛の人も(本人が希望すれば?周囲が望めば?)治せる」みたいなことが書いてあって無茶苦茶怒ったことがあります。まあその方は障害児教育で成果を上げているようだったので、他の部分を我慢して読みましたが。

 当時のパソコン通信では感想として「私は自然の前で謙虚でありたい」と書いたと思います。

 なんか「治すようなことでないものを治そうとしている」と感じたのでしょうね。もう今ではそんな記述、無くなっているかもしれません。

 あと、一部の方には、何でも机の前に座って1対1でお勉強、みたいな感じで身につけさせようとされる方もいるようで、それは違うな、と思いました。

 「本人にとっていいこと」が起こる、あるいは授業で取り扱っていること自体が「本人にとって楽しいこと」である、ってのが大事で、「お勉強」としてやられると「本人がしたくもないこと」「本人が嫌なこと」が混じってきてたいへんになると思います。

 私が「何かがおかしい?(A君の音声言語表現について)」で書いているような指導は応用行動分析的だと思うんですが(?TEACCH的?よくわかんなくなってきた・・・)ある生活の局面だけのことだと思うのです。生活の間中ずっと、そういったねらいがあったら、それはしんどい。

 とか何とか言いながら、TEACCHの背後に応用行動分析の考えが「常識」としてあるのは事実だろうし、大事な考え方だと思います。ハルヤンネさんの「得する体験」も同じだと思いますし。

 最後に私が感動してぞくぞくしながら読んだ本。

応用行動分析学入門―障害児者のコミュニケーション行動の実現を目指す/山本 淳一他著


 読んだ当時の感想はこちらに書いています。
−−−−−−−−−−−−−−−
「応用行動分析学入門」学苑社(3600円+税)小林重雄監修
1999.3月末読了


 まずこの本の宣伝文句が気に入って買おうと思いました。帯に同じ文が載っているので引用します。

(引用開始)
最もヒューマニスティックなアプローチ!
 行動療法とかオペラントというと誤解されがちで、中にはアレルギー反応を示す人がいるかもしれないが、本来の行動分析学とは、問題行動の原因を障害者本人に求めるのではなく、個人と環境の相互作用の中に求めるという、きわめてヒューマニスティックな発想を持っている。そのため、周囲の環境に何か問題はないかよく見きわめ、環境そのものに変更を加えていくという視点があり、その理念は、ノーマリゼーションとも通じる。本書は、従来の障害児指導論のパラダイム・チェンジを迫るものであり、入門書であると同時に、理論や実践における最新情報や深い内容が盛り込まれている。
(引用終了)

 環境そのもの(これはもちろん人・・教師とか・・も含まれるわけで)に変更を加えていく、というのが今の私の気持ちにぴったり来ます。

 この本、副題に「障害児者のコミニュケーション行動の実現を目指す」となっていてサインやシンボルについても記述があり、「どう指導するか」の例も載っています。時代が動いているなあ、と感慨深いです。

 また執筆者の中にいろいろお世話になってる方の名前を発見し、これまた嬉しかったりします。

 私も読むのはこれからです。

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 「応用行動分析学入門」学苑社をやっと読み始めました。(ずいぶん前に購入していたのに(アセ))

 今、望月昭さんの「総論」のところを読み終わりました。

 この望月さんって先日、学研の雑誌「実践障害児教育」の中で私が読んでて「ぞくぞくする」と書いた「コミニュケーション指導・再考」という記事の共同執筆者の方です。

 「総論」もすごいです。

 今までのコミニュケーションというか言語の指導って、オウム返しで何かを言わせたり、カードを示して「これなあに」「リンゴ」なんてのが多かったけど、言語行動の社会的機能を重視するように変わってた、
という話があります。

 で、具体的にはノーマライゼーションの流れの中で、「自己決定」や「本人の参加」のために「要求言語行動(マンド)」を教えていくことの重要性があるのだけど。で引用します。

「要求言語行動に文字通り対応しようとするなら(本当に教えようとするなら)、周囲の人間は、本人が選択(要求)できる、現実の物や事(強化刺激)を用意しなければならないのである。
 このように、表現モードを本人の選択を中心に選んだり、あるいは要求言語行動の指導の場面で典型的に示されるように、そのコミニュケーションの本来の機能を満たそうとすれば、指導者は単に障害児者本人とだけ向き合って指導をしているだけではすまない。必要な環境設定を自らが行ったり、あるいは生活環境の変更について、本人に代わって(あるいは本人と共に)要求する必要が出てくる。そして、そうした操作を前提とした場合には、この指導の場でのコミニュケーションの内容も、変化していく必要がある。」

 私たちの学年が今年やってきた「おやつでコミニュケーション」の授業や、「てつだってください」や「むすんでください」。はたまた「ゴーアウェイ」や「CD聞きたい」などの指導(?)などの意味がすっきりするなあ、と思います。

 また、例えば「ある授業への参加」「ある行事への参加」なども、そしてそれら「授業」「行事」の企画段階の考え方も変えていく必要があるのかなあ・・・と。

 私のお伝えした部分では不確実、不都合なところも多々あると思うので、また興味を持たれた方は「応用行動分析入門」にじかに当たって下さい。

 なおコミニュケーション指導について

「これに対して、行動分析学的立場の下では、口話のような音声モードであれ、手話や書字のような非音声モードであれ、必要な社会的な機能を満たす上で、障害児者にとって最も負担なく、あるいは本人自身よって選択された表現モードが、優先的に用いられなければならないことになる。
(Reid & Hurlbut,1977)」

という下りもありました。うん、よく理解できます。決して音声モードを否定してるわけじゃないんですよね。

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 ゆっくり、ゆっくり読んでいます。

 前回「総論を読んだ」と書きましたが、その時点では「総論」の中の

 第1章"コミニュケーションを教える"とは?(望月昭)

 しか読んでいなかったことが判明しました(笑)
 でやっと今「総論」を読み終えました。
 総論の最後は

 第4章 非音声的コミニュケーション手段の活用(山本淳一)

です。私も肢体不自由児のシンボルを使ってのコミニュケーションや機器利用について取り組んできていたので、例えば図18の「車イスに乗った人がコミニュケーション・ボードを使っている」図なんかを見ると嬉しくなってしまいます。

 その最後のところに

  7.コミニュケーション行動間の相互作用:刺激等価性

というのがあります。少し引用します。

「話しことば、書きことば、サイン言語、シンボル言語などの各コミニュケーション・モードは、お互いに無関係なものではなく、一人ひとりの障害児者の全体的なコミニュケーション行動を、有機的な連関をもって支えている。特定の事象に対して、音声でも、書字でも、サイン言語でも、視覚シンボルでも表すことができるならば、それらの各モードの関係は、機能的に、お互いに等価(equivalent)であるということになる。このような、各モードの関係は、それらの間の関係をすべて直接訓練しなくとも自動的に成立することが知られており、このような直接の訓練なしに自動的に成立した関係を「刺激等価性」と呼ぶ(山本,1992)」

 うーーん・・・ってことは、例えばよくカードなどを使ってコミニュケーションする実践をしようとする時「そんなことをしたら音声言語が出なくなるからやめて下さい」ということを周囲から言われることがありますが、「刺激等価性」があるならば、大丈夫、ということになりますよね。

 ただし、これも個人個人によって違うのかな・・・

 ある子にとっては「等価」だがある子にとっては「等価」でない?

 うーーん・・・

−−−−−−−−−−−−−−−
応用行動分析学入門を少しずつ少しずつ読んでいます。

 やっと7章です。

 でも、ぞくぞくしっぱなしですねえ。

 ここで説明されてる「機会利用型指導法」「時間遅延法」などは私はTEACCHのセミナーで理屈抜き(!?)で教えて頂きました。で、実践でおおいに使ってきたわけですが、そっかあ、こういう理屈と
いうか説明というか、そうなるのね、って感じです。

 で○○さんがパソコンのソフトに例えて説明してくれてはりますが、私はもうちょっと違うことを思いました。

 TEACCHはちょっと昔のMACであり、応用行動分析はそのころのDOSからWIN3あたりになるのじゃないか。その頃って「こんなことやりたい(DTPとか画像処理とか)」って人は理屈抜きでとにかくMACを使ってた。でDOSとかは切れ味はするどいけど、バリバリにチューニングできる人でないとつらいところがあった。

   追記 2016.04.28
      大事なことを書きわすれていました。
      当時のMACはめちゃ「非力(同じ金額を出した場合)」
      だったということを(笑)

 でも現在はMACとWINがある意味でほぼ同じような感じになってきてるのと一緒で、TEACCHと応用行動分析って見方というか記述するポイントが違うけど、相互乗り入れ(?)ができるよなあ、って感じですね。

 ま、私は基本的には理屈抜きのMACな人だよな(最近使ってないけど)とは思いました。

posted by kingstone at 11:04| Comment(0) | 障害支援・社会参加 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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