2011年01月01日

1995年1月・神戸―「阪神大震災」下の精神科医たち 中井久夫著



 阪神・淡路大震災で壊滅した神戸の病院で精神科医たちがどう動いたかという記録。当時神戸大学病院精神科教授をされていた中井久夫さんが前半部を書き、またそれぞれの医師たちが記録を書いています。1月17日震災のおりは病院から離れた自宅に帰っておられ、2日間は「旗艦先頭」をとの思いはありながらも、自宅で現場からの報告を電話で処理されていたとのことです。
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書類や報告の多さ

 今日、AERAを買いました。

 中の記事に、教師が「報告書が増え、子どもに障害名がつき、個別対応をせまられ」疲れて、子どもと話す時間もなくなり・・・みたいなことが書いてありました。

 今はそうなのか。
 報告書・書類の中にはいらないものもずいぶんありそう。
 何の関係もないと思われるかもしれませんが、以下の文を引きたいです。
 中井久夫さんが震災直後を語られたものです。

「1995年1月・神戸」中井久夫編(みすず書房)

(引用開始)
 初期の修羅場を切り抜けおおせる大仕事は、当直医などたまたま病院にいあわせた者、徒歩で到着できた者の荷にかかってきた。有効なことをなしえたものは、すべて、自分でその時点で最良と思う行動を自己の責任において行ったものであった。初期ばかりではない。このキャンペーンにおいて時々刻々、最優先事項は変わった。1つの問題を解決すれば、次の問題が見えてきた。「状況がすべてである」というドゴールの言葉どおりであった。彼らは旧陸軍の言葉でいう「独断専行」を行った。おそらく、「何ができるかを考えてそれをなせ」は災害時の一般原則である。このことによってその先が見えてくる。たとえ錯誤であっても取り返しのつく錯誤ならばよい。後から咎められる恐れを抱かせるのは、士気の萎縮を招く効果しかない。現実と相渉ることはすべて錯誤の連続である。治療がまさにそうではないか。指示を待った者は何ごともなしえなかった。統制、調整、一元化を要求した者は現場の足をしばしば引っ張った。「何が必要か」と電話あるいはファックスで尋ねてくる偉い方々には答えようがなかった。今必要とされているものは、その人が到達するまでに解決されているかもしれない。そもそも問題が見えてくれば、半分解決されたようなものである。
(引用終了)

 特別支援教育にしろ、教育にしろ、こんなもんだと思います。

 不必要な書類というのは「統制、調整、一元化を要求した者は現場の足をしばしば引っ張った」「「何が必要か」と電話あるいはファックスで尋ねてくる偉い方々には答えようがなかった。」

というのと同じようなもんだと思います。

 もちろん独断専行で日中戦争に引っ張っていった、っていうんじゃ困るわけですが。

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posted by kingstone at 18:35| Comment(0) | 教養・ビジネス・組織論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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