自分の実感が一番大事
大昔の話です。
知的障害特別支援学校にいた頃。
○○さん、こんにちは。
kingstoneです。
私自身は・・・周囲からはTEACCH絶対主義者と思われてるんだろうな。
肢体不自由児にパソコンを使わせようとしていた時は「あいつはパソコンオタクだから」「あいつはパソコンが好きだから」と思われてたろうし・・そーゆーのってこっちが否定しても、相手は余計にそう思うし、まあほっとくしか無いんでしょうね。(オタクであることは否定しませんが、ちょっと違うオタクだと思う・・・)
>が、私の地方の特別支援教育関係の方はみなさん一様に否定されます。
>カードばかりや、オペラント的や、授業らしくない、やらされてる
>みたいや・・・。
あはは、あるある。
これについては私は全部反論および注釈はできるなあ。
「カードばかり」
そんなことは無い。実物を使うこともあれば、メモ帳を使うこともあれば、言葉を使うこともある。視覚支援を多く使うのは確か。
オペラント・・・
そもそもその批判をされた方がどれだけ応用行動分析のオペラントと言われるやり方をご存知なのか。最近の動向をご存知なのか。そこんとこがわからないと話にもならない・・
授業らしくない・・・
授業らしい授業がそもそも成立していたのか。そしてその授業を受けていた子どもはどうであり、卒業後どうなったのか・・・。目指すべき授業ってどんなものなのかなあ。
やらされてる・・・まず「やらされて何が悪い」と開きなおることもできるような気が・・だって他のやり方の授業や生活だって「やらせる」ことをしていないかなあ。
しかしそういう中で本当に本人の選択を大事にしていこう、ということを中に入れていくこともできるわけでね。例えばプリントをさせる時に「どっちのプリントをする?」とか遊びに行く時に「どっちの教室で遊ぶ?」とか私の場合は入れてますけど。
>しくない、やらされてるみたや・・・。しかし、実際に学校で担当していた
>子どもに少し構造化した形で取り組んで見ると、パニックしていたのに我に
>返ったように表情が和らぎ落ち着いて過ごしてくれました。このときに何か
>通じ合えたような気がしました
批判するにせよ擁護するにせよ観念的にやる人っているじゃないですか。
そういうのって議論するだけ時間の無駄という気がします。
人の持ち時間って限られているのですから。
そんな中でいちばん確かなのは○○さんご自身の実感だと思います。
そこから出発するしか無い。人の言葉(例えば私の言葉)よりも、ご自分の実感から考えていくのが一番ですよ。(ニコ)
それから、実は実践者というのは「絶対主義」にはなり得ないと思うのですね。とにかく現実というやつはいろんなことを起こしてくれる。その時に「こうやりゃ絶対うまくいく」っていうことはあんましないような。
で、いつもあれこれ試行錯誤しか無い。(で、こう書くとまたTEACCHにかぶれてるから、と思われるかもしれないけど、TEACCHってその試行錯誤を含みこんでるような気がします)
>それと、学校現場では否定される人が多いのに、お母さん方は自らも学習会
>をして特別支援学校教員以上に良く知っておられて、これではお母さんから質問
>されたときに特別支援学級の先生はおろか特別支援学校の先生もひとたまりも
>ないわ、という状況です。
あはは。
学校って・・・保護者からの外圧が一番きくかな・・・本人や教師のニーズではなく・・・
私、中学生時代、丸刈りに反対を表明してたし、周囲の友人に聞いても多くの人たちが生徒集会だとかなんやかんやで反対の意思を表明していたのに学校は変わりませんでした。
後で、ある保護者が裁判を起こしたら、確かそれだけ(判決とかじゃなく)で丸刈りが無くなった。
何か苦いですけど。