2011年02月07日

本当のTEACCH TEACCHは日本では無理?



 今回は私や私の周囲の方に「TEACCHは日本では無理」とか言われた時のものを集めてみました。

過去の記事239(TEACCHは日本では「無理」?1

 大昔の話です。

 知的障害特別支援学校小学部3年目の3学期の話です。

 2月28日

 TEACCHは日本では「無理」というようなご意見をいろんな方からお聞きします。

 これってどのレベルで言っているのか、という問題がまずありますね。

 まず「TEACCHは包括的なプログラム(システム)であるから「学校」では無理」というご意見。

 ごもっともです。

 1.大学にあるTEACCH部がコーディネートし、行政と家族や現場をつなぐ。
 2.保護者と療育者が共同治療者として関わる。
 3.TEACCH部のスタッフが保護者や現場の者をコンサルテーションしてくれる。

 いずれも今の日本には無いシステムです。

 でも、「だから無理」というのは違うのではないかな。無ければ作ればいいのではないか。もちろん同じ形ではなく、つぎはぎではあっても、できるところから、気づいた人が始めればいいのではないか。その開始点が学校であってもさらさら困らないし・・・

 他に無理な理由って何だろう・・・・

 後、アメリカ文化と日本文化、学校文化と自閉症文化の対立なんかもあるかもしれない。

 でも・・・もともと学校文化の常識が無い私と、特別支援教育なんて全然知らない新人さんたちとで作って来た今年後半の学年。その取り組みはTEACCHでは無いですけど

・どっかの定期的なコンサルテーションが受けられたわけでは無い。ネットワークではいろいろ教えて頂きましたが
・IEPを作れたわけでは無い。保護者と共同治療者として明確に話し合えたわけでは無い
・行政からの取り立てての支援があったわけでは無い
・その他、いっぱい抜けがある

 しかしTEACCHの考え方を大きく参考にはしています。

 この学年、2年間担当して来たのですが、後半の半年(学年全体でTEACCH的に取り組みを始めた半年)でいろいろなことが大きく変わりました。ある意味でそれまでの1年半がたいへん申し訳ないです。

 で、私自身はもう前の形に戻ることはできないと考えています。

 で、またTEACCHって言うけど・・・もともとTEACCHは指導法に関しては、とにかく取り入れて良さそうなものは何でも取り入れている、という感じはあるしね。

 私にしても、教材については「太田のステージ」の関連からヒントを貰ってるし、コミニュケーションについては今までやってきたAACの考え方から多くを学んでいるし、指導法では応用行動分析の方から教えて頂いたりもしているし・・・で、それらが基本的には矛盾なく「ある」という感じです。

 ま、どんなことでも「無理」と思う、あるいは思いたい方にとっては「無理」なんだし、「できる」と思えば「できる」こともある(時にはできなかったりするけど(笑))ってあたりかな。
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過去の記事242(TEACCHは日本では「無理」?2

 3月4日

 ○○さん、こんにちは。

 まあほんま、○○さんもおっしゃっているようにTEACCHにこだわる必要は全然無いと私も思っています。

 >時間軸の理解と適応が苦手な方達に、具体的な手だてで時間的な流れが
 >伝えられることにより、彼らが「納得」出来ること。
 >それによって生じた子どもの情緒安定→本来の力の発揮。適応性の広がり。
 >療育者の肯定的な子どもへの評価、等など得られる物が沢山ありました。

 これも別にTEACCHの専売特許ではなく、いろんないい実践の中には入ってますよね。例えば別にTEACCHから学んだわけではなくても、いい実践をしようといろいろやっていたら同じようなことをやっていた、って方もたくさんいるような気がします。で、そういう方は「あっTEACCHですね」なんて言われたら怒るかな?(何言うてんねん、俺のオリジナルやわい、みたいに)

 ただTEACCHのすごいところは行政も巻き込んで、またいろいろ試行錯誤して取捨選択していってる、ものすごく組織的にやってる、ってとこかな、って思います。だから学ぶところがたくさんある。

 でも、私もTEACCH、TEACCHと言いすぎると反発くらいそうだし(そう、ではなくくってる(笑))うーーん、どう言っていけばいいのだろう・・悩みます。

 「TEACCHは日本では無理」と言うのはやっぱりおかしいとは思うけど、ひょっとしたら「TEACCHのやり方を私はようしません」というのはありかもしれないな、と今思い出しました。

 私、いろんな療法とりあえずは否定しません。ただ「この療法は私には無理、ようしません」というのはあるもんなあ・・・

追記
 「TEACCHのやり方を私はようしません」ということがあるだろうか?
 TEACCHはソフトなやり方か、ハードなやり方か、って言ったらソフトだし。
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校内の反応

 クラスで「私の思う通りやる」と宣言してやっても、クラスの中だけだったら外からは見えないですね。別に外に向かって「TEACCHでやります」なんてことは言ってなかったし。

 でも、体育館や校外ランニングの待機場所に「勝手に」カード受けを作ったりしてるわけで。学部会や職員会を通しているわけではない。

 でもそれを「駄目」とは言われませんでした。

 いったい何をやっとんやろ、と不思議そうに見ている、という感じかな。
 でもやらせてもらえたのは事実ですね。

 あ、いや、受容的交流方法をお好きな1人の(複数おられた)先生は私に向かって

「TEACCHなんかやっちゃ駄目じゃない!」

とはおっしゃいました。

私はう〜んとうなって、無言だったかな。

 この先生は

「kingstoneさんは、パソコンなんかやるからTEACCHなんてやる」

と周囲にぼやいてはったそうです。(笑)

 若い方にはわからないかもしれませんね。昔はパソコンを使っていると劣った人格だ、みたいな評価をする方は一定数おられました。(ニコ)

 この方、TEACCH嫌いはそのままだったと思うのですけど、まあ私のやってることを見て後年

「TEACCHって、kingstoneさんのやってるのと、別のと2つあるの?」

と質問して下さいました。やっぱり私はう〜んとしか答えようが無かったですけど。
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そのままでいいのさ

 私はTEACCHの勉強をしていて、TEACCHプログラムを参考にして実践しようとする方から「自閉症のあなたは、そのままでいいのですよ。認知の障害があってもいいじゃないですか」というメッセージを受け取ります。(応用行動分析もそうかもしれない)

 これは、例えば「問題行動」があって、それをそのままでいい、ということではありません。ただ「問題行動」を起こすには「状況がわからない」「何をしていいかわからない」などの認知の障害に基づいたあれこれがあり、その認知の障害はそのままでいいんだ、ということですね。

 そして、その認知の障害を抱えたまま生きていくために、支援する物としてカードや具体物やそれらを使ったスケジュールがあったりするわけです。で、それによって「問題行動」が無くなったり減ったりする。

 しかし、やっていてここにひとつの逆説が生じる場合がありそうです。

 それは「そのままでいい」「認知の障害を抱えたままでいい」ということであれこれやっているうちに、例えば周りの状況の受け取りが良くなったり、いろいろな概念が身についたり、認知そのものも良くなったように見える場合が出てくる。なんか、そういうことがありそうだなあ、と思っています。
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 でですね、これって・・・実は例えばロジャース派のカウンセリングなんかでも、同じ構造があるんじゃないかなあ。(ただし対象は自閉症者ではありません。今、ここで書いているのはあくまでも「自閉症的な認知の障害」の無い方の場合に限らせて頂きます)

 つまりね。ロジャース派のカウンセリングは「共感的理解」ということで「今そう感じているあなたはそのままでいいんですよ」というメッセージを相手に伝えるわけですね。(言葉だけとは限りません)

 でその中でクライエントは「成長」し「自立」していく。

 「そのままでいい」とやっているうちに「そのままでなくなる」わけです。

 ここにおいて私にとってTEACCHも、応用行動分析も、ロジャース派のカウンセリングも同じものとなります。
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 さて、ではロジャース派の人の前にクライエントとして自閉症児・者が現れたらどうなるでしょう。

 まずたいていの方は「視覚支援」の勉強などはされていません。
 環境の調整とかいう点について勉強されてる方も少ないとは思います。少なくとも10年程前に私が一生懸命勉強していた頃にはそういうことは話題になりませんでした。環境の調整などはせずにひたすら相手の言葉に耳を傾けるということが重視されていたように思います。(もちろん自閉症の方を対象にはしていない上での話です)

 そこに自閉症の方が現れる。きっとロジャース派の方は様々な違和感を感じられると思います。さて、でロジャース派の方が大事にしていることがあります。それは「今、ここ」の重視です。

 で自閉症の方と向かい合って「今、ここ」を大事にしようとすると、これはもう「視覚支援」とか「構造化」の勉強を始めないわけにはいかないのじゃないか、と思うのですね。

 あるいは、これは私が勉強していた頃もいろんなところに書かれていたのですが「自分よりももっと適切な人がいる、と思ったらそこを紹介する。決して無理に取り込まない」ということの重視もあります。

 つまり相手が自閉症の方だとわかり、自分よりももっと環境の調整など自閉症の方への援助に役立つ方がおられると判断したら迷わずそちらに紹介する、そういうことですね。
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これは私の「願い」の部分が大きく、現実は決してそういうふうに
推移していないかもしれません。

追記
 少なくとも現在のスクールカウンセラーさんの活動の情報を集めてみると「診断」というか「自閉症」とか「アスペルガー症候群」とか「ADHD」とかいうふうに「見る」ことは多いようです。昔はそれすらも否定されることが多かったですから。

 ただ支援の仕方をご存知かどうかはわかりません。
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わかるような、わからんような・・・

 ○○さん、こんにちは。
 ○○さんの発言をいつも楽しみにしています(ニコ)

 >現在のTEACCHの哲学とそれをもとにした実践に十分タレント性を発揮できる
 >人がターゲットです。「魂の無い構造化」を行ったり、「アセスメントなしの絵
 >カード使い」は対象ではありません。

 ってことは私は入らないわけね。(ほっ)

 「魂のある構造化」をし「アセスメントして絵カードなどを使う」をしたいと思っているのですが、結果的には「意味無い構造化」や「とにかくいろいろ使ってみる」レベルでとどまっているなあ、と忸怩たる思いです。

 で、マチートさんの発言を読んでいてsyunさんもどっかで書いてはった肢体不自由児・者への機器利用の話を思い浮かべるところもあります。

 まずは

1.「肢体不自由児のQOLを上げるには教師が自作くらいできなければ」

というのがあり、それに対して

2.「自作してるから広まらないのだ。ちゃんとした商品を購入すれば時間もとられず、より良い実践ができる。またみんなが購入しないから馬鹿高くて買えないものでも、みんなが購入しだすと値段が下がりより広く活用できるようになる」

という意見が出てきて、で現在は

3.「できる限り商品購入。しかし経済的に無理であったり時間的に間に合わない場合は自作」

という流れで来ているかな。でも実はその論争に参加している人は少数であり、多くの人は全然関係なしに機器は利用しないまま来ている、という面もあります。まあそれでも商品として少しずつは広まってきてはいます。10年前に比べれば知識を持つ人が増えては来ていますね。

 しかし、重なる部分と同時に重なっていない部分もありそう・・・

 >考えてみればあたりまえのことなのですが、そんな常識も私はわからなかったわ
 >けです。同様な思いが、新しいTEACCHのバイブルを目にして湧き上がりました。
 >私は、これまでの自閉症あるいは障害児者療育関係の理論や療法よりも、この
 >TEACCHの哲学と方法論はわかりやすく、素晴らしいものだと思います。でも、
 >もっと広く一般的な視点で見たとき、「はたしてどうか?」というのが今回の批
 >判の視点です。

 この「TEACCHの哲学と方法論」と「広く一般的な視点」というのが何か?そこがわかるといいのですが・・・教えて下さる?それとも「そのくらい自分で考えんかい」?(笑)
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TEACCHなんかとてもできないという保護者の方へ

 ○○さん、こんにちは。

 これは○○さんへのレスということではなく、いろんな方への思いです。

 >妻の意見です。本を少しかじりましたが、有効かもしれませんがとてもできそ
 >うにありません。

 きっとそう感じはる方、たくさんおられると思います。
 私も最初本を読んで、いったいこれをどこから手をつけたらええねん、と悩みましたもん。

 私の学年の実践も、いまだ「TEACCHの考え方を取り入れている」というところまではいきません。しかし外から見ていてそう思ってはる人は多いかな。

 でもって現在の私の学年の指導のあれこれをビデオでお見せすると

「こんなに高度なことはとても(私のところでは)できない」

とおっしゃる方もあります。

 しかし、よーく考えたら一番最初は「掃除の時に何をしてもらうかを伝える」ことだけを、しかもかなり試行錯誤してやったんだなあ・・・いや挨拶を紙を見ながらやってもらうところが最初かな・・・

 そしてそのひとつひとつから

「あっ、この子たちは、さぼっているんじゃないんだ。なまけているんじゃないんだ。わからないだけなんだ」

という実感を得て次のことに進んでいく力をもらいました。

 ただ、側で「わっ、こんなことあったよ」というのを一緒に喜んでくれる人がいることは大事かな。私の場合はFEDHAN(障害児教育フォーラム)があり、自分たちで始めた研究会が支えになってくれたわけですが。

 「プロ」に対しては「最低(論文の抜き刷りも含めて)20冊は読んでね」と要求される□□さんも、保護者には要求しない、と明言されてます。で、私自身は教師も、とにかくいろいろやってみることから始めた方がいいんじゃないか、と思っています。で併行して勉強も進めていく・・・

 「ギターを弾くのを学ぶこととTEACCHを学ぶこと」からのツリーに派生した「ギターを弾く」ことへの比喩で言えば、いきなりエリククランプトンは無理でもCを押さえてジャーンと鳴らし「あっ、いい音が出る」と気持ち良くなるところから始めていいのじゃないかなあ。
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TEACCH的な取り組みの紹介原稿を書いた人への回答

 ○○さん、どうもです。
 kingstoneです。

 > どうですか? 誤解なく伝わるかなぁ。

 まあ、誤解なく、ってのは何につけ無理なんだろうな、と思っています。
 でも○○さんなら質疑応答の中でかなりきちんとしたイメージを伝えはるだろうとは思っています。

 ○○さんの原稿を印刷して読み、想定問答してみました。

 > この自閉症治療教育プロクラムは、自閉症の障害の程度、本人の能力を検査
 >するところから、始まり、具体的な対策の検討を経て、実施へとつながる。手

Q.検査しないとできないの(それじゃ私のとこではできないなあ)

A.
 できればいろいろなちゃんとした検査(PEP-Rとか新版K式とか)をやったほうがいいのは事実ですが、毎日の授業そのものが検査(アセスメント)である、と考えることもできます。

 その時、うまくいかなかったところ、うまくいったところは何故かと考えます。うまくいかなっかのは、どう理解してもらえなかったのか、考え、どんな援助(視覚的なものとか)をしたらやってもらえるかを考えます。あるいは、今できているとこを組み合わせてうまくできるようにならないか、とか。

 そういった日々の授業や暮らしの中で得られたものを応用していくなら立派にTEACCH的取り組みと言えます。(ほんまかなあ・・そう言っていいのかな(笑))


 >手法は自閉症の人が視覚優位であることを有効に生かすことを主としている。

Q.あっ、じゃあうちの子は関係ないですね。言葉もわかっているし、おしゃべりもできるし。

A.
 しゃべりまくる自閉症の方でも、音声言語のみ(指さしや身ぶりをつけない)で指示してみると意外に「わかっていない」ということが確認できたりします。

 よく調べてみることが必要です。また確かに音声言語で指示が通っていても、実はその人のすごく苦手なところをフルに活用して理解してもらっている場合があり、その方にすごくストレスをかけている場合があります。できればより楽に理解できる方法も併用してみてはどうかと思います。


 > 「名前を聞くだけでアレルギーを起こす」人や
 >「懐疑的考えを持つ」人もいないわけではないので、そう
 >いう所に気を使っています。

 これね・・・どうすりゃいいんだ・・・
 ほんま私も気をつかっていますけど。

 先日の地域の先生の原稿もいろんな派の人が変なところで怒り出さないよう、削ってもらった言葉があったり、「説明の時、そんなこと言ってはダメよ」とかお願いしたところもあります。
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TEACCHに取り組むには学校全体を変えないといけないから無理?

 kingstoneです。

 ある方がある方にこう言ったそうな。

「TEACCHに本気で取り組もうと思ったら学校全体を変えないといけないから無理。」

 この方、すごくよく勉強もしている方です。私が言うとしたら

・小さいところから、ちょっとしたところからでも取り組めます。
・学校全体を変えたらええやん。

 まあこの方が「賢く」て私が「あほ」なだけかもしれません。
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TEACCHに取り組むには学校全体を変えないといけないから無理?2

 ○○です。(特別支援学級教師)

>「TEACCHに本気で取り組もうと思ったら学校全体を変えないと
> いけないから無理。」

 中国の古い話でもそんなんあったような。
 賢くなり過ぎると、先が見えて(あきらめて・予想される結果に失望して)かえってしようとしなくなる。けれども、そこまで賢くないなら、なんでも(できそうだと)挑戦していってしまう。そして、やってみるとやってる内に道が開けることも多いから、必ずしも、それが皆失敗するとは限らない。だからそういった人の方が、新しいことや難しいことをやり遂げることもある・・と思う。

 関係ないけど、市の特別支援教育研究会で「光とともに…」30冊ぐらい売れたなぁ。
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 ○○さん、どうもです。
 kingstoneです。

 いかんですね。
 本当に「あほでよし」と思えていたら、ああいう書き方にはならないのかも。ま、でも私は私・・・・

 部屋の壁に貼った「Think Different」の紙
(クレージーな人たちがいる。
 反逆者、厄介者と呼ばれる人たち。
 ・・・・ってやつ)

 だいぶ黄ばんできました。

追記
 「Think Different」はMachintoshのCMに使われたコピー(詩)
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「TEACCHは日本ではできません」も「TEACCHして下さい」もどっちも変

 私の「「TEACCHはやりません」と学校から言われた話」というつぶやきから端を発したらしいやりとりです。私は「激しい」言葉を使っている場面もありますが、おおいに楽しんでました。

posted by kingstone at 12:52| Comment(2) | TrackBack(0) | 自閉症・発達障害 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
はじめまして。私は小学校で特別支援学級の担任をしています。ずっと通常学級で講師をしてきて今年初めての特支担任です。通常学級と勝手が違く一学期はとても大変でした。一番の葛藤は給食指導です。早い話が私も残していいと思うのです。きゅうりを食べることに一時間かけるなんて馬鹿げています。(前の担任の指導です)米粒ひとつ食べることに大声を出させて、私には虐待にしか見えないのです。確かに、まったく何もしないでは教師としての芸がなさすぎます。ちょっと食べてみての声掛けで食べるものだけ食べさせていますが、前からいる支援員さんは前の担任のやりかたが身についているので、なんとしてもある程度食べさせようとします。特別支援は初めてなので「そういうものなのかな」と一瞬考えましたが、いや違う、人としての尊厳の問題に思えて、私としては重い問題になっていました。でも今日このページに出会って「あー戦っている人がいる」と力をもらいました。いろんなやりかたがあるけれど、担任は私。自分の直感を信じてやっていきます。ありがとうございました。
Posted by fumiko at 2012年09月08日 20:57
fumikoさん、初めまして。

私も別に戦いたいわけじゃなかったのですが、結果的には戦ってることになってしまってましたね(^_^;)

「前の担任さん」は「何が大事で、何を身につける必要があるのか」全然わかってはりません。
で、それは実は担任さんの責任とは言えず、多くの精神科医・大学教授・専門家と呼ばれる人たち(教育委員会指導主事も含めて)が、特別支援教育担当者に「何が大事で、何を身につける必要があるのか」全然わかってなかったからだったりします。私には現場の教師の責任とは思えないのです。(ということは支援員さんの責任とも言いがたい。支援員さんは本来、前担任に「何が大事か」を教えてもらわないといけなかったのに、前担任は教えてくれなかったのだから・・・)

最近の新しいことは「kingstone page(新)」に書いています。
http://kingstone3.seesaa.net/


左サイドバーの「カテゴリ」の中に「実践動画」というのがありまして、そこを見て頂くと、私がどんなことをやってたかが、割と短時間でわかるかもしれません。

それから、すごく「威嚇と暴力」を使う支援員さんと組んだことがあるのですが、1998年度の後半から、私と他の担任たち(新人Aさんと新人Bさん)と「見てわかる」「給食は完食しなくていい。むしろ『残します』が言えることが大事なのだ」というようなことをクラス(学年)全体で取り組むようになったら、その支援員さんも威嚇と暴力を使わなくなり、「見てわかる」工夫をし始めてくれました。

でも、ほんまfumikoさんもお疲れを出さないようにして下さいね。
Posted by kingstone at 2012年09月08日 21:24
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