2011年01月06日

コカ・コーラ そのままでいいのさ



「変わる」「変える」「そのままでいい」

 古い応用行動分析学の初心者向け入門書「子どもは変わる」東正著1985年4月版に、こんなフレーズがあります。

 わたしたちは、子どもの行動の変容をとりあげるとき、それだけに視点を限定する傾向があります。こどもがよくなった、そのことだけに目をうばわれてしまいます。実はもっとたいせつなことがあります。

 子どもが変われば、お母さんが変わります。
 子どもが変われば、先生も変わります。そして、
 お母さんが変われば、子どもが変わります。
 先生が変われば、子どもも変わります。 

 変化するのは子どもだけではありません。お母さんも、先生も、子どもとおたがいに関係し合いながら変化していくのです。


 やっぱり「古い」から「お母さん」だけが出てくるのかな。

 私としては「子どもが変われば」を一番に持って来るところに若干の異論はあります。でも大事な言葉だと思います。私はもと教師だから

 教師が変わる→子どもが変わる→親御さんが変わる

の順番だと思っています。ここは人によって変化するでしょう。

 でも「変わる」のをねらうというのもあるかもしれませんが、「そのままでいい」というのもほんま。で「そのままでいい」と思うといろんなことが「変わっていく」

 いきなりですが、コカ・コーラのCM。歌は上田正樹。「そのままでいいのさ」




 こんなのもありますね。


THE SERENITY PRAYER

O God, give us
serenity to accept what cannot be changed,
courage to change what should be changed,
and wisdom to distinguish the one from the other.

                 Reinhold Niebuhr



ニーバーの祈り

神よ、

変えることのできるものについて、
それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。
変えることのできないものについては、
それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。
そして、
変えることのできるものと、変えることのできないものとを、
識別する知恵を与えたまえ。

         ラインホールド・ニーバー(大木英夫 訳)

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そのままでいいのさ

 大昔に書いたものです。

 私はTEACCHの勉強をしていて、TEACCHプログラムを参考にして実践しようとする方から「自閉症のあなたは、そのままでいいのですよ。認知の障害があってもいいじゃないですか」というメッセージを受け取ります。(応用行動分析もそうかもしれない)

 これは、例えば「問題行動」があって、それをそのままでいい、ということではありません。ただ「問題行動」を起こすには「状況がわからない」「何をしていいかわからない」などの認知の障害に基づいたあれこれがあり、その認知の障害はそのままでいいんだ、ということですね。

 そして、その認知の障害を抱えたまま生きていくために、支援する物としてカードや具体物やそれらを使ったスケジュールがあったりするわけです。で、それによって「問題行動」が無くなったり減ったりする。

 しかし、やっていてここにひとつの逆説が生じる場合がありそうです。

 それは「そのままでいい」「認知の障害を抱えたままでいい」ということであれこれやっているうちに、例えば周りの状況の受け取りが良くなったり、いろいろな概念が身についたり、認知そのものも良くなったように見える場合が出てくる。なんか、そういうことがありそうだなあ、と思っています。

 でですね、これって・・・実は例えばロジャース派のカウンセリングなんかでも、同じ構造があるんじゃないかなあ。(ただし対象は自閉症者ではありません。今、ここで書いているのはあくまでも「自閉症的な認知の障害」の無い方の場合に限らせて頂きます)

 つまりね。ロジャース派のカウンセリングは「共感的理解」ということで「今そう感じているあなたはそのままでいいんですよ」というメッセージを相手に伝えるわけですね。(言葉だけとは限りません)

 でその中でクライエントは「成長」し「自立」していく。

 「そのままでいい」とやっているうちに「そのままでなくなる」わけです。

ここにおいて私にとってTEACCHも、応用行動分析も、ロジャース派のカウンセリングも同じものとなります。

 さて、ではロジャース派の人の前にクライエントとして自閉症児・者が現れたらどうなるでしょう。

 まずたいていの方は「視覚支援」の勉強などはされていません。
 環境の調整とかいう点について勉強されてる方も少ないとは思います。少なくとも10年程前に私が一生懸命勉強していた頃にはそういうことは話題になりませんでした。環境の調整などはせずにひたすら相手の言葉に耳を傾けるということが重視されていたように思います。(もちろん自閉症の方を対象にはしていない上での話です)

 そこに自閉症の方が現れる。きっとロジャース派の方は様々な違和感を感じられると思います。さて、でロジャース派の方が大事にしていることがあります。それは「今、ここ」の重視です。

 で自閉症の方と向かい合って「今、ここ」を大事にしようとすると、これはもう「視覚支援」とか「構造化」の勉強を始めないわけにはいかないのじゃないか、と思うのですね。

 あるいは、これは私が勉強していた頃もいろんなところに書かれていたのですが「自分よりももっと適切な人がいる、と思ったらそこを紹介する。決して無理に取り込まない」ということの重視もあります。

 つまり相手が自閉症の方だとわかり、自分よりももっと環境の調整など自閉症の方への援助に役立つ方がおられると判断したら迷わずそちらに紹介する、そういうことですね。

これは私の「願い」の部分が大きく、現実は決してそういうふうに
推移していないかもしれません。

追記
 少なくとも現在のスクールカウンセラーさんの活動の情報を集めてみると「診断」というか「自閉症」とか「アスペルガー症候群」とか「ADHD」とかいうふうに「見る」ことは多いようです。昔はそれすらも否定されることが多かったですから。

 ただ支援の仕方をご存知かどうかはわかりません。

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もうひとつの逆説

 大昔に書いたものです。
 同じようなことばかり書いてます。

 もうひとつ逆説が起こります。

 > 「そのままでいい」とやっているうちに「そのままでなくなる」わけです。

 でも「そのままでなくなる」ことをねらうと失敗する、という逆説(?)です。

 ほんと「そのままでいい」んですよね。
 で、そのままならそのままでいい。
 でもたまに「そのままでなくなる」それはそれでいい。
 どっちもいいんです。
posted by kingstone at 20:57| Comment(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月01日

ノルウェイの森 松山ケンイチ 菊池凛子 水原希子 村上春樹原作

 今日は妻と「相棒」を見に行くか、「ノルウェイの森」を見に行くか、で相談。「相棒」はいっぱいそうだし、「ノルウェイの森」はネットで流れてくる批評はいまいちのものも多く早めに打ち切られては見れなくなる、と「ノルウェイの森」を見に行くことに。



 客は半分ほどの入りでした。

 私なぞ、ヘルメットの学生が歩く大学のキャンパス、学食、寮の集会室、レコード屋のレジとか、そんなところが懐かしくて引き込まれました。(私はもっと後の世代ですが)講義中に「討論(実は演説)やらせろ」なんて言う学生もいたし。

 で、確かにあんな女の子いたよなあ。外国の小説をたくさん読んで、すてきな言葉をつぶやいて、時には薬でラリッたり、手首を切ったり(今のいわゆるリストカットみたいにたくさん傷をつけはしてなかったけど)、で何か妙に魅力的で。

 でもって、そういう子にもてる男がいて。

 私は、そういうのをうらやましげに遠くから見てる役回りでしたけど。

 物語では自殺する人が後で聞いた話も含めると3人出てきますが、私の周囲では幸いそこに至った人はいません。みんなどうしてるかな。たくましいおばちゃんになってたりしたら嬉しいけど。

 ひとつ突っ込むとしたら、夏の草原、雪の山肌、自然の中で寝ころぶ2人の姿が出てきますけど、夏草の上は蒸れるし(そばに池塘(池)まである)、雪の上は冷たいし、早くどこかへ行きたいと思うんじゃないか、と思うんですが。

 松山ケンイチは静止画で見ていると、なんでこの人がスターなんだろ、と思ってましたが、動きがあるとすごくいいですね。

 ま、私はお金出して見る価値がありました。若い人にはどうかな?





posted by kingstone at 19:10| Comment(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年12月31日

すすめ!!パイレーツ 江口寿史著



マッチ1本火事のもと、ポーの一族萩尾望都


「すすめ!!パイレーツ」江口寿史著に出てきたギャグ

 妙にツボにはまった








posted by kingstone at 15:19| Comment(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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